◯『藤岡屋日記 第四巻』p155(藤岡屋由蔵・嘉永三年(1850)記)
◇真薦の馬に毛が生える・芳藤画
〝七月、板橋宿手前、滝の川三軒家百性、種屋友次郎家ニて、真薦の馬へ毛の生し一件
是ハ去年七夕ニ備へ候真薦の馬を、家根へ上ゲ置候処ニ、今度是へ馬の毛生じて、引抜候ニ肉付候由、
見物人多く参り候ニ付、箱ニ入金網を張置て、仕廻置候よし、山師共買ニ参り候得共、売不申よし、地
頭御先手頭野馬忠五郎殿、七月廿四日見分ニ参り、右馬ハ屋敷ぇ預り置候よし。
練馬の大根種は生れども
真薦の馬がはへし評判
右之一件、七月下旬ニハ霊岸島、田中鉄弥と申者、右評判記を出板致し、売出し申候、又国芳弟子ニ
芳藤図ニて、左り甚五郎作の馬の生て野ニ出し処の壱枚絵出ル也。
右、真薦の馬ニ毛の生し次第之書ハ
頃ハ嘉永三戌年七月、王子滝野川村百性友次郎と申者、常/\神仏を記念致し、例年之通聖霊棚きれ
いニ餝り、灯明を上ゲ候処ニ、十四日夜明ヶ方、夢中ニ馬の鳴声を聞付て、友次郎目を覚し辺りを見廻
し候へ共、何の子細も無之、夫より身を清めて仏前を拝し見るに、不思儀(議)成哉、真薦草ニて作りた
る馬に生るが如く毛はへ候、家内之者奇異の思ひをなし、夫より隣家之者始メ村役人立合、地頭処ぇ訴
候処、御地頭様御見分之上、右馬ハ友次郎ぇ御預ケニ成候、誠ニ世に珍らしき事共也。
真薦馬、丈ヶ四寸五分、長サ七寸余
これハ真こも馬だといへば趙高笑ひ顔
腐れてはへたといわれては馬らなひ
右馬の画、板元ハ本郷四丁目、絵双紙屋丹波屋半兵衛ニ而、芳藤の画也〟