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☆ くにまる きくかわ 菊川 国丸浮世絵事典
(曲鞠〈きょくまり〉参照)
 ◯『藤岡屋日記 第二巻』p163(藤岡屋由蔵・天保十二年(1841)記)   ◇曲鞠・菊川国丸 p179   〝三月、浅草観音開帳之砌、奥山において三日(ママ)廿三日より、大坂下り風流曲手まり太夫菊川国丸       曲鞠番組 次第    大序 寿三番叟 高まり    第二 ありわらのむかし男の姿とは おこがましくも渡る八ッ橋    第三 豊年を悦ぶ翁煙草 こくうを走る仙人の術    第四 張良が沓を捧し橋ならで 是は風流木曾の桟橋    第五 膝渡し左右流しや滝落し 浪を分つゝ雲にかくるゝ    第六 小廻りしゑを拾いッヽ、遊ぶ鞠 雲井はるかに渡る中釣    第七 生花を受流しッヽ折敷て 大廻りしてむかふ乱ぐひ    第八 登り龍くだりし龍や虎こま(ママ) たすきにかけて雁の入首    第九 柴船を足で留たる平た蛛 高く蹴あげて見るも一曲    第十 八重桜額にかけて腕流し、雲井を通ふ雁金の曲〟    〈『甲子夜話』三編・巻七十七 ⑥269 松浦静山曰く〝辛丑(天保十二)初夏の頃なり、浅草寺観音開帳とて有り、     其時、彼の奥山と云に、蹴鞠する者出て、諸人見物す。予は久しき飛鳥井の門弟にして、鞠は蹴れども、身柄ゆゑ     観にも往かれず。近従の輩が視たりし話を、左に挙録す〟として、近従の者に画かせた曲鞠芸の図あり。静山の感     想は〝風流曲手鞠、大夫菊川国丸罷下云々と。されども全く蹴鞠にして手鞠に非ず〟というものであった〉