☆ 寛政元年(天明九年・1789)
筆禍『黒白水鏡』(黄表紙)
処分内容 絶版
◎作者 石部琴好 手鎖のち江戸払い ◎画工 北尾政演 過料
◎板元 不明(記載なし)
処分理由 江戸城内の刃傷沙汰を題材としたこと
◯「黒白水鏡」(宮武外骨著『筆禍史』p79)
〝石部琴好の著にして、画は北尾政演の筆なり、此黄表紙も亦絶版となり、著画者は刑を受けたり、『法
制論簒』に曰く、
寛政元年の春、石部琴好と戯名せし者、『黒白水鏡』と題して、黄表紙と称する草双紙を著し、北尾
政演これを画けり、琴好は本所亀沢町に住せる用達町人松崎仙右衛門といへる者にて、政演は山東京
伝のことなり、然るに此の冊子は天明の始め、麾下の士佐野政言(善左衛門)が当時威勢熾なりし老
中田沼意次を、営中にて刃傷に及びし次第を書綴り、絵を加へたるものなるからに、忽ち絶版を命ぜ
られ、作者琴好は数日手鎖の後、江戸払となり、画工は過料申付けられたりき〟
『黒白水鏡』 石部琴好作・北尾政演画(早稲田大学図書館「古典籍総合データベース」)
〈『黒白水鏡』は、佐野善左衛門が田沼意次の嫡男意知を襲撃した天明四年の一件などを踏まえて、田沼派の凋落を画
いた黄表紙。作品は絶板を命じられ、作者の石部琴好は手鎖の後、江戸払い、そして画工の北尾政演(山東京伝)は
過料(罰金)に処せられた。黄表紙の画工が罰せられたのはこれが初めてか。これまで、所謂浮世絵師が画工として
加わった作品が当局の忌憚に触れたことはあったが、画工そのものが咎められたことはなかった。浮世絵が当局の視
野の中に看過できないものとして入ってきたのである〉