◯『事々録』〔未刊随筆〕⑥306(大御番某記・天保二年(1841)~嘉永二年(1849)記事)
(天保十五年・1844)
〝十月二日御厩河岸ノ面ニ流来鯉、目ノ下四尺三寸鱗壱寸三【二三字破損】四分に至〟
◯『藤岡屋日記 第五巻』p245(藤岡屋由蔵・嘉永六年(1853)記)
◇大鯉の見世物
〝五月三日、大鯉の見世物出候也
常陸国河内郡牛久町牛沼にて取候由にて、三尺の大鯉八丁堀へ持来り、金拾五両にて売らんと申候所に、
見せ物師十両に付候得共、売不申由、評判有之候処に、是は鰒の皮にて細工物之由、いかにも飛龍とな
るべき鯉のかく数年を経て広大に相成候者のおち候は不思議と存候所、右鯉の評判故に頓知の者工夫し
致し、銭儲に拵へ候よし。
鉄砲と異名をうけし鰒の皮こひで浮名のたつはうしぬま〟