◯『巷街贅説』〔続大成・別巻〕⑨140(塵哉翁著・文政十二年(1829)自序)
(文政十年・1827)
〝傚顔見世番附小伝
淫婦小伝(インフコデン)といへるは、天明寛政の頃、芝に名高きお伝と云し義太夫節の名人あり、そが門弟
にして其業にも秀(ヒイデ)たれば、師の名を継で小伝といふ、今や戯場役者秀佳【古是の業の男、三代
目板東三津五郎】が妻たり、抑(ソモソモ)淫婦にしてみそか男多かる中に、路考【三代目路考養子、菊三
郎が男、六代目瀬川菊之丞】に密通して其事かくれなく、世の中の噺草とはなりぬ、さるを何人か戯れ
つくりけん、顔見世の入代り番附に似せて、其たわれ男の数々を、浮世絵師歌川国貞が筆して写し出つ、
桜木に載せて専らにもてあそぶに、程無く其判を禁じらる、此番附摺出すの費(ツヒヘ)、百金に余れりと
かや、又利を得る事二百金に過たりと、痴呆(タワケ)たる事にしはあれど、大江戸の広き、他国にはあらじ、
予も亦痴漢(タワケ)の数に入て、乞見て爰に写し、後の笑草とはなしぬ
(顔見世番付風小伝の写しあり。署名は「不器用絵師 出茂又平筆」)〟