◯『我衣』〔燕石〕①176(加藤曳尾庵著・文政八年(1825)以前成立)
〝五色墨流と云は、点式五色の墨を以てなすゆへなり、沾徳、沾洲、青峨、一晶【是は別流】其外三夕凡
十余人上手也、又、享保の頃、素人にては、百里、白雲、蓮之、只尺等あり〟
◯『嬉遊笑覧』巻「書画」p(喜多村筠庭信節著・文政十三年(1830)自序)
〝享保の末〔五色墨集〕といふあり。五人の歌仙したるを一集とす。其人々は、佐久間長水【三郎右衛門、
沾徳弟子】素丸【琴風弟子】宗瑞【両替屋中川三郎兵衛、其角門人】蓮之【松木次郎右衛門、杉風門人】
咫尺【大場仁右衛門正秀門人】以上五人なり。〔続集〕もあり。長水素丸これが評を貞佐に乞ふ【その
評略す】また小寺文貢と云もの評に云、江府の俳諧法をみだり格をすて放埒の句姿となり、宗匠といは
るゝ者、句者といはるゝ者多くは、世の落魄人にして邪淫の媒となり章台の合詞となる。近頃、佐久間
長水丈是をなげきて云々、邪風を改て正風体に帰せんとす。有難貴むべし。然れ共其姿まゝ江戸風の破
手ありて、大津画の僧の如く法体には似たれ共未真実の正雅とはいひかたかるべし〟
〈『五色墨』は享保十六年(1731)、『続五色墨』は寛延四年(1751)の刊〉