①『江戸名物詩』初編 方外道人狂詩 春峰・英泉等画 天保七年(1836)刊
(早稲田大学図書館・古典藉総合データベース画像より)
②『江戸買物独案内』中川芳山堂撰・口絵「北斎改葛飾為一画」文政七年(1824)刊
(国立国会図書館デジタルコレクションより)
③ 雑俳川柳 出典略号例(六6)『柳多留』六編六丁の意。(天七天2)『川柳万句合』天明七年(相印)天二丁
【越後屋】(日本橋)
①「越後屋呉服 駿河町角
両側(ガハ)一町三井が店(タナ) 小僧判取り帳場遐(ハルカ)なり
半時の商(アキ)内何(ナン)千貫 知る是れ繁昌江戸の花」
②「駿河町南側 現金無掛直 越後屋八郎兵衛」
③「にわか雨いとやすく貸す三井出し」(天七天2)
〈貸し傘は越後屋に限らないのだが……、貸し傘といえば越後屋なのである〉
【住伊】(日本橋)
①「住伊呉服 日本橋中通
京都織り物の新帯地 判取り帳場小僧忙し
誂へ物の手附三日限り 金泥染の類(タグヒ)決して商なわず」
〈未詳〉
【白木屋】(日本橋)
①「白木屋諸式 通一丁目
諸式の注文望み次第 貯収(タクハヘ)品物量(ハカ)るべからず
唯だ呉服絲のみに非ず 万事人間の無尽蔵」
②「日本橋通一丁目 呉服物問屋 白木屋彦太郎」
③「よくうれる店さと水を汲んでいる」(七31)
〈店の井戸水を客に無料開放したという〉
【大丸】(日本橋)
①「大丸屋新形 通旅籠町
流行の新ん形た流行の縞 仕込沢山土蔵に満つ
忽ち去り忽ち来る四方の客 町人武士半分は娘」
②「大伝馬三 通旅篭町 呉服物 大丸屋正右衛門」
③「大丸と越川でどら身ごしらへ」(六六4)
〈大丸で仕立てた衣裳を着、越川仕立ての煙草・紙入れを懐中にして吉原へ。どら息子の必須アイテムである〉
「大丸は越後の上にたヽん事」(三一37)
〈越後屋と張り合っていた〉
◯『塵塚談』〔燕石〕①284(小川顕道著・文化十一年(1814)成立)
〝近年、大商の呉服屋断絶せし者、数軒有、本町に、大坂屋、寿の字越後屋、本郷十一屋、糀町伊豆蔵や、
いづれも大商人にて有けり、其外にも三四軒有しが、しかと覚へず、忘たり、小商人の相続せざるは、
理といふべし、予が覚へて出来し呉服屋は、芝新ン橋松坂屋、神田明神下沢の井、此弐軒のみ也、且、
人の知れる分限者あり、芝かわらけ町に小川平八、柳橋にめくら平八、今戸に瓦師平八、これを三平八
といふて、諸人知る所也、然るに、小川平八びろくし、馬喰町紙屋五朗兵衛かぶを、居ぬきに、文化十
年酉十一月買請、五郎兵衛と名乗、商売せし処、同十一年店仕舞、断絶す、大名、高家の如くくらしけ
るに、夢の如く、泡のやう也し〟