◯『後の為の記』付録 滝沢馬琴稿 天保六年(1835)六月記
(『曲亭遺稿』所収 国書刊行会 1911年刊 国立国会図書館デジタルコレクション)
〝山東庵京山は二男四女あり、女子二人は短命なりき、長男筆吉は放蕩無頼にして不肖甚しければ、已
む事を得ず勘当して二男を嗣とす。年十七八なるべし、画を武清に学びて画名を京水といふ〟
◯『江都諸名家墓所一覽』(早稲田大学図書館・古典籍総合データベース本 朱筆書き入れ)
〝山東京山 名 百樹 字銕梅 安政五 九 廿四 九十 法号 栄隆院自黙京山信士〟
◯『名人忌辰録』上巻1(関根只誠著・明治二十七年(1894)刊)
〝磐瀬京山 凉仙
通称利一郎、京伝義弟、名は百樹、号は鐵筆堂。安政五年九月廿四日没す、九十七。本所回向院に葬る。
法号修崔院自點(京山もと篠山侯に仕へしが辞して京橋太刀売に住し、再び兄京伝宅に移りて印刻を業
とし、傍ら戯作をなせり。天保九戌年二月晦日、齢七十に及び剃髪して凉仙と改め、年賀の書画会を催
せり。安政五年九月廿四日、娘の井伊侯へ奉公せし方へ参りて一泊し、夜明て更に起出す、其娘いぶか
りて行て見しに事きれたり、卒中風なりといふ)〟〈法号 修崔院自點居士〉
◯『本之話』(三村竹清著・昭和五年(1930)十月刊)
(『三村竹清集一』日本書誌学大系23-(2)・青裳堂・昭和57年刊)
〝山東京山の死
仙秀君の親方なる新富町の表具師高築氏の先は山東庵の旧ありとぞ、反古の中にありしとて仙秀君見せ
られしに
はやり病にうちふしける九死をのがれて
白あさきけふも八十通り町九十の命ひらふ床上ケ 九十歳 京山(印)
印は巴山人なれど、胴印とは見えず。この年ころり流行して、市河米庵はじめ名家の死するもの多く、
京山も此の病にて死せし様に『武江年表』には記されたれど、『名人忌辰録』には、娘の方へ一泊して
知らぬ間に死せりとあり。今此歌を見るに、白浅黄は棺を覆ふかけ無垢といふものなるべし、八十も町
を葬式が通りたれど自分は全快して床上げをせりといふ祝意をこめたる歌にて、高築氏よりの見舞に対
して贈りたりけむ。されば時疫は全快して其後老衰にて没せしなるべし。回向院の墓碑には
安政五戊午九月二十四日 行年九十歳没
とあり、然して此碑はもと寿碑にて、碑陰に文政五年壬午時年五十三と予め建てし時の記あり、文政五
年五十三なれば、安政五には八十九歳にて九十歳にあらず、『蜘蛛の糸巻』に、おのれ京山は明和六己
丑の生れとあれば文政五年は五十四歳なるべし、或は此時誕辰にて今いふ満五十三といふ心なるにや〟