◯『無可有郷』〔百花苑〕⑦402(詩瀑山人(鈴木桃野)著・天保期成立)
〝狂人の事
小野の蘘水翁の語りしは、近世に物狂ひの病を得る多かる中に、病いへて後物くるわしかりし有様をき
ゝもしきこへもして、後のこゝろへにもなすべきなるに、かゝる人はまれなるハいかにぞや。おしかく
したりとて、かくし果べきならぬを、とかくにいふをはゞかる者おゝし。共中に此ならひに染ざる人一
人を得たり。赤城明神別当何某とて、才ありて詩を作る事を好めり。故に蘘水翁と莫逆の友なりしが、
狂人となりて、人に逢こともなく引龍りて居にけり。一日蘘水翁其病を訪ひしに、此日は少シ心地よし、
余りになつかしく侍れバ、見ぐるしけれども少シ心地よし、飴りになっかしく侍れパ、見ぐるけれども
此方へ通り給へと云ふに、其まゝ案内につれて入けり。二重三重の奥に、地の間に荒木もて立たる格子
の家あり。主じハ其内に荒ごもの上に坐しけり。いかにや/\と問へば、おもてを揚て此方を見やり、
なつかしの友だちや、此頃迄ハ夜にも日にも行きかよひて交り深かりし人ニも、吾かゝる様を見給ハヾ、
誰か訪ひ来給はん。よし訪ひ給ふとも、心地狂ハしき時は、いかで相見侍らん。けふハ先程より心地よ
し。君に相見侍る事を得たり。扱も物狂ひの病といふハかゝるものとも思はざりしに、ふと病を得てよ
り、いかに心を取しづむるとも甲斐なく、時来れば、言ふことも為す事も、吾にして吾ならず、後に心
しづまりて思ふに少シも覚へなけれバ是非もなし。恥かしくハ侍れども是を見給へといふに、其あたり
を見れバ衣類ハ皆引さき、飲食の器糞溺の器一つに取りちらし、或ハ汚穢の物投打たる様目も当られず、
余りに気の毒に思ひけれバ、其侭立さらんといふに、しばしとて引留、君もし汚穢を嫌ひ給ハずバ、今
しばし語り給へ、病おこらん時ハ此方よりしらすべし。其時早く立去り給へといふに、是非なく立帰り
て、格子の外に席をしきて坐しけれバ、主涕を垂れていふ。病を得てより詩を思へども、一句も思ひ来
らず。やゝ詩情に入と思へバ忽ち心くるはしく、飲食も汚穢も見分なく、偏に犬猫の如く狂ひ廻りて、
体つかれて打伏なり。醒て後しばし心地常の如く、浅しと思へども、時来れバ又前のごとし。かくする
こと一日に両三度ヅヽなり。百薬しるしなけれバ、とても本復思ひもよらず。一日も早く命終るこそ第
一の幸なり。しからずバ狂ひつゞけになりて醒る時なくバかへりて物思ひもあるまじ。なまじひに時と
して本性になるこそかなしけれ。此頃何某ハ如何にあるや、何某ハ詩作り給ふ哉。近製の詩ハ如何ぞや
などいひて尋けり。何某々々ハしか/\なり。詩ハ何某秀逸の作ありなど語るに、大によろこび、詩を
口占して聞しめ給へといふに、一二首を誦ずれば撃節歎称常の時にかはることなし。古人の詩句を誦し
て疑問を正し、今人の詩を誦し庇瘕をさすなど狂人とは思はれず。半時計語りしに少シもかはることな
けれバ、かく迄本性なる人が忽ちに物狂はしく成こそ不思議なれ。其替る様見んと、いよ/\興に入て
語りけるに、少シ言語の前後するやうなることあるとひとしく、眼を見張左右を顧りみなどすると見へ
しが、はや立去り給へ、病の時来れりといふにぞ、直に席を立て案内につれ二聞計り隔る頃、大聾叱呼
して物擲ち狂ふ様、或ハ泣悲む様手に取るよふに聞へて、気之毒さいはん方なく、其侭にいとまを告て
帰りけるとぞ〟