◯『藤岡屋日記 第一巻』①11(文化元年(1804)秋)
〝(文化元年)秋
小石川伝通院前辰巳屋惣兵衛事、六十九歳にて我が肖像を画せて、蜀山翁に賛を乞ひしに
お祭りと神楽の堂に辰巳屋の枯木娘や花さかせ爺
辰巳屋惣兵衛、伊東氏、若年の頃は平井辰五郎と云て、畳屋与兵衛が弟子也、生れ付質素を好み、又強
きをひしぎ弱を助るの気性也、(中略)
惣兵衛若年より狂言を好みて、山王・神田両御祭礼には御殿女中又は賤の女、或は台所唐人の学びなど
に出、道化所作頓知よくなしける、見る者笑わずといふ事なし、神事毎に此翁が出立を見ん事を思ひけ
る、両御祭礼に限らず、所々の小祭りにの出る也、天明の末の頃、狂言神楽といふ事を自らたくみ出し、
面を種々作りて踊りをなす、祭り出しのはやしに合せ、狐・外道等の踊是也、諸侯方の屋敷内稲荷祭り
に召れ、いろ/\の道化并に狂言神楽をなし、金銭を給るといへどもいさゝかも受る事なし、我遊戯に
して利欲の為にせず、此狂言神楽といふは誠辰巳や翁が一流にして、時に年七十を越て猶すこやかなり
といふ。
一説に神田祭礼の節、湯島へ此辰巳屋出し事在り、翁のおいらんにて、伜と嫁を新造とし、孫二人を
禿に仕立て、是此翁が一生の大出来なりとの評判也〟
〈「辰巳屋惣兵衛」の項参照〉