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☆ きょうがあわせ 興画合せ浮世絵事典
 ◯『増補 私の見た明治文壇2』「仮名反故」2p287   (野崎左文編・原本明治二十八年(1895)・底本2007年〔平凡社・東洋文庫本〕)   〝当時三題噺に次いで流行せしは興画合せといふ遊戯なり、此遊びは先づ会日を定め其前に兼題を配り置    きて当日其趣向を持寄り衆議判(シュウギハン)にて之が優劣を定め高点の部へは夫々賞品を配るといふ方法    なりき其興画の認(シタタ)め方は兼題の品物を画中にあらはさず古事又は古歌等の意を取り他の景物を描    き出して夫となく兼題を利かする趣向にて例へば寄月水といふ兼題の出たる時は薄(ススキ)の原の遠見(ト    ホミ)のみを画きて武蔵野と見せ月と逃水とを隠して夫となく兼題を利かせ又養在深閨人未識といふ詩の    句を兼題に取りし時は室咲(ムロザキ)の梅を描きて余意を示すがごとき趣向なり、魯文も亦此遊び仲間に    加はり時々興画を出品せしが是は三題噺の不手際なりしに引換へ毎度高点を取りて喝采を博せし事あり    或時江戸市中の橋名(ケウメイ)を分ちて兼題とし花水橋といふ題を取りし時翁は鴬と蛙云々をいふに因み夫    となく花と水とを利かせたる趣向にて一座大受けなりしが此催しも亦年を追ふて盛大となり慶応年間に    は或人の追善の為め「隈なき影」といふ興画合連中の影画(カゲヱ)と自咏の句とを記せし美麗なる彩色    摺の大冊子を配るやうになりぬ〟  ◯「興画会」秋廼舎(『此花』第二号 大正元年(1912)十一月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)(13/15コマ)   〝慶応の末年、戯作者仮名垣魯文、山々亭有人、瀬川如皐、河竹新七、浮世絵師歌川芳幾、同芳春、好事    家香以山人、出揚扇夫、梅素玄魚、武田交来、落葉舎等相詢(はか)りて興画会を興し、興画合といふ催    しをなせり、其方法は例会の十数日前に、兼題と美濃紙四ツ切に一定の枠を摺りたる用紙とを配り置き、    扨当日其兼題に因り 各々趣向を凝らして描きたるものを持寄り、衆議判にて之が優劣を定め、其高点    者には景品を出だす事なり、而して其優劣判定の標準とも云ふべきは、兼題其侭を鵜呑にして描きたる    を拙きものとし、故事の意をとりて兼題とは全く離れたるものを描き出して、しかも夫となく巧みに題    を利かせしを最も勝れたるものとす(以下、第一等を取った仮名垣魯文の作品図あり)、かゝる趣味あ    る娯楽も明治十年に至らずして廃れ、終に再興するに至らざるは惜しむべし〟