◯『藤岡屋日記 第十一巻』p477(藤岡屋由蔵・元治元年(1864)記)
(四月、伝通院境内にて大黒天開帳、中間と元鳶との喧嘩記事の中に、当時興行していた見せ物記事あり)
〝足之曲持【名代/若太夫】【橘錦太郎/同文次郎】
力持 大力 大碇謙吉
(中略)
足之曲持 橘錦太郎
よしあしの曲はともあれ金太郎も釣方なれば腹をたちばな
力持 大碇謙吉
大力で船も留たる大碇外の喧嘩は留られもせず〟
◯『藤岡屋日記 第十四巻』p208(藤岡屋由蔵・慶応二年(1866)記)
〝慶応二丙寅年九月
亜墨利加国持渡之道具芸名
足芸曲持、浜碇定吉番組荒益之分
同 三挺階子曲乗芸
同 大幟曲持上乗之芸
同 崩階子上乗之芸
同 壱本竹上乗之芸
同 大半切桶曲持之芸
同 石台曲持、水風呂桶曲持
同 家内喜樽曲持、大障子曲持
同 数小桶上乗之芸、但是をはねむしと云
〆拾壱番
〈次項に二年契約の浜碇の給金が出ている〉
足芸曲持、新吉原京町二丁目 吉兵衛店 浜碇定吉 三十五才 三千五百両(二年)〟