☆ 文化初年(1804~)
◯『反故籠』〔大成Ⅱ〕⑧252(万象亭(森島中良)著・文化初年成立)
(「江戸絵」の項)
〝金摺銀摺を初めしは喜多川歌麿なり〟
☆ 天保四年(1833)
◯『無名翁随筆』〔燕石〕③277(無名翁(渓斎英泉)著・天保四年(1833)序)
〝寛政の始めより、金銀銅粉、雲母入の彩色摺りをはじめしより、後、きめ出し等の工風をなせり、近比、
狂歌春興の摺物に美を尽し、春毎に互におとらじとて、写真摺、無地金摺などを製しければ、再応是を
禁じられたり、是より江戸売買の錦絵に金摺りは止みたり〟
〈寛政の初め頃から金銀銅雲母入りの摺りが始まったという。狂歌の摺物等で競って用いるようになってから、目に余っ
たかして禁じられ、それにともなって錦絵の金摺も禁止になったようだ〉
☆ 天保九年(1838)
◯『馬琴書翰集成』第五巻・書翰番号-5 ⑤17(曲亭馬琴書翰・天保九年二月二十一日付・小津桂窓宛)
〝「上方板役者見立八犬伝錦画」四枚つゞき、御投恵被成下、忝奉存候。被仰示候ごとく、只今ハ京・大坂
共ニ、ヶ様之ものも巧ニ成り、をさ/\江戸にまがひ候。この画工貞信ハ、国貞の名の一字をとり候哉と
存候。御蔭にて、視聴をなぐさめニ、画帖ニはり入可置候。万々奉謝候。且又、右「上方板八犬伝見立の
錦画」、多く江戸へ差越シ、正月下旬の頃より、処々小うり店ニて売り候。ヶ様之事前未聞、畢竟『八犬
伝』流行の勢ひに従ひ候事ニ可有之候。然ル処、にしき画・さうし類ともに、色ざしニ金を用ひ候事、上
方ニてハ御かまひなく候へども、江戸は寛政中よりきびしき官禁ニ御座候。依之、右の錦画、何人が引受
候而、処々小うり店へ売渡し候哉。行事の改を不受にうり候品ニて、此間、草紙改名主より吟味有之、草
紙問屋行事、並に引受候而売渡し候当人、しば/\呼出され、売止之上、証文をとられ候。あまり『八犬
伝』流行故、かやうの義も出来いたし候〟
〈長谷川貞信画「見立犬山道節忠與 中村玉助」「見立河鯉権佐守如 三枡源之助」の二枚続と「見立犬阪毛野胤智 中
村歌右衛門」「見立かなめの前 中村富十郎」の二枚続の計四枚。天保八年、大坂の板元天満屋喜兵衛から出版された
もの。しかしこれは寛政以来江戸では禁止されている金摺の豪華版であった。八犬伝の人気にあやかろうと、江戸の改
(アラタメ)を通さず販売してみたものの、早速改名主に呼び出され売買禁止を命じられたのであった〉