Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ きんぴら 金平浮世絵事典
 ◯『浮世絵年表』(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)   「万治三年 庚子」(1660) p28   〝此年、始めて金平云々の外題ある浄瑠璃本出づ。金平本の嚆矢といふべし。即ち『金平末春軍論』これ    なり。版元は京都の正本屋九兵衛なり〟  ◯「川柳・雑俳上の浮世絵」(出典は本HP Top特集の「川柳・雑俳上の浮世絵」参照)   〝あんまりじや・人一倍に公平絵〟「西国船」元禄15【雑】注「主人公を大きく書いた古浄瑠璃の挿絵」    〈人一倍怪力無双の金平、その誇張した画きぶりを「あんまりじゃ」というのであろうか〉  ◯『続飛鳥川』〔大成Ⅱ〕⑩25(作者未詳・成立年未詳)   〝寛延、宝暦の頃、文化の頃まで売物、    元日に番附売、初狂言正月二日始る。番附代六文、    一枚絵草紙うり、うるし画、うき絵、金平本、赤本、糊入ずり鳥居清信筆、其外奥村石川〟    △『戯作者撰集』p269(石塚豊芥子・天保末頃~弘化初年成立、後、嘉永期まで加筆)   (岡清兵衛の項目)   〝岡清兵衛    和泉太夫の浄瑠璃作者也、世に金平本と云、    「黄昏日記」【宝暦十年/紀逸著】に云、岡清兵衛は金平本の作者糸縷(イトヨリ)権三は女形の初なりと云    『故郷帰の江戸咄』【貞享四年/丁卯印本、六ノ上/十一丁メ】に云、前文略す    扨又、和泉太夫が浄瑠璃は岡清兵衛と云もの作る、いつぞの程にか金時が子を金平也と云広め、わたな    べのつなが子をたけつなと云はやらかしてより、むかしがたりに云つたへたるべんけい・時宗・あさい    など、かれ金平が片手にもたらぬやうにきこへければ、くわいりよくらんしんをこのむものどもは、金    平をかたるをきゝて、そばにてこぶしをにぎり、きばをかみてよろこぶ程に、金平といふことをば、三    才のわらべ迄もしりて、日本国へひろまりたり、彼金平作りの清兵衛は生れつき才発にして、物覚つよ    く、太平記・盛衰記・あづまかゞみなどをそらにおぼへ、儒釈哥道をも少つゝは、こゝろえければ、古    事来歴を引事得もの也とかや、此清兵衛が近頃病死したるときゝて、哀にもをしくもおもひければ、      金平を作り岡清びやう死して惜や思へば学もたけつな    と、斯あれば、貞享年中に死去せし事と見へたり、此人の墓所いまだ不知、金平上るり本、予、文庫卅    部程あり    此岡清兵衛死去の後は、新作の上るりも無事にや、是迄有きたりの狂言のみ興行せしものか、それ故、    追々金平節廃りし処へ、近松門左衞門の名作、其頃の人気にかなひ、此為に古浄瑠璃は皆廃りものとな    れり、然ども、享保より宝暦の頃迄は、赤本・黒本にもまゝで出板し、金本ぶしといふはやり唱哥抔も    ありしが、予所蔵す。天明の比より絶たり。今に金平の名のみ残りしは、     晒木綿足袋【底を用るを】金平と云、【雲斎の類にて強と云こゝろにて斯名付しものなるべし】     金平糊 つよき事 金平牛蒡  金平煙草【昔あり、今はなし、是はきついといふ心なるべし】〟    〈『戯作者考補遺』(木村黙老編・弘化二年序)も同文あり、参照した〉