参考 浮世絵事典【い】色摺り
☆ 明和年間(1764~1771)
◯『増訂武江年表』1p186(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)
〝曲亭云ふ、明和二年の頃、唐桟の彩色摺にならひて、板木師金六といふもの板摺某にかたらひ、板木へ
見当を付くる事を工夫し、始めて四、五遍の彩色摺を製し出せしが、程なく所々にて摺出す事となりぬ
と云々(蜀山翁云ふ、此の説非也。見当を付くる彩色摺は、延享元年江見屋吉右衛門工夫を始めとすと
云へり)
筠庭云ふ、彩色摺のはじめは紅絵なり、四、五遍の彩色にてありしは、延享元年奥村文角が画など見
ゆ。かゝれば蜀山の説かなへり。さて、此の処其のよき方の説を細注とし、悪しき誤説を本文とした
るはいかにぞや。若し其の誤説をもしるさば、それを挙げて、さてこれを非としたる説を、本文にか
くべきなり。其の上、この年間のくだりにはしるすべきに非ず。馬琴が誤説を信じて、明和の条にし
るせるなり〟
☆ 文化八年(1811)
◯『燕石雑志』〔大成Ⅱ〕⑲393(曲亭馬琴著・文化八年(1811)正月刊)
〝錦絵は明和二年の頃、唐山の彩色摺にならひて、板木師金六といふもの、版摺(ハンスリ)某甲(ナニガシ)を相
語(カタラヒ)、版木へ見当を付る事を工夫して、はじめて四五遍の彩色摺を製し出せしが、程なく所々にて
摺出す事になりぬと、金六みづからいへり。明和以前はみな筆にて彩色したり。これを丹絵(タンヱ)とい
ひ、又紅絵(ベニヱ)といへり。今に至りては、江戸の錦絵その工(タクミ)を尽せる事、絶て非すべきものな
し。さばれ近属(チカゴロ)は、紅毛(オランダ)の銅版さへこゝに出来(イデキ)、陸奥(ミチノク)なる会津人すら彼
(カ)の錦絵を摸してすなれば、世の人既に眼熟(ナレ)て奇とせず。彼の金六は文化元年七月身まかりぬ。
当初(ソノカミ)彩色摺といふものはじめて行はれし時、その美なること錦に似たりとて、世挙って錦絵の名
をば負(オハ)しけん〟
〈馬琴はどうして金六のホラ話を真に受けたのであろうか〉
◯『一話一言 巻三十六』〔南畝〕⑭402(大田南畝・文化八年(1811)四月記)
〝錦絵の始め 燕石雑志
錦絵は明和二年の頃、唐山の彩色摺にならひて、板木師金六といふもの板摺何がしをかたらひ、板木に
見当をつくる事を工夫して、はじめて四五へんの彩色摺を製し出せしと、金六みづからいへり。かの金
六、文化元年七月身まかりぬ【燕石雑志にみゆ】〔【欄外。此説非ナリ、見当ハ延享元年江見屋上村吉
右衛門工夫也。故に今に見当ノコトヲ上村ト云】〕〟
〈『燕石雑志』は滝沢觧(曲亭馬琴)の雑録で文化八年正月の出版。この記事は「わがをる町」の項目にある。二行割
り書きの欄外注がいつのものか分からないが、金六の証言をそのまま載せた馬琴説を否定したのである。馬琴でさえ
検証もせず、これを信じたのである。これを逆に云えば、江戸の人々は、錦絵を我が誇りとする一方で、それを技術
的に支える見当、その由来には極めて無頓着であったともいえようか〉
☆ 文化九年(1812)
◯『放歌集』〔南畝〕②188(大田南畝著・文化九年(1812)四月記)
〝江戸芝神明前に江見屋元右衛門と云草子やあり。三代目上村吉右衛門といふもの、延享元年甲子三月十
四日はじめて合形の色摺を工夫し、紅色を梅酢にてときそめ、また板木の左に見当といふものをなして
一二遍ずりの見当とす。今にいたるまで見当を名づけて上村といふ。はじめて市川団十郎の絵をすり、
又団扇に大文字屋□(*ママ)の図を色ずりにして堀江町伊場屋勘左衞門といふものに贈りしより、今の五
代の吉右衛門文化九年壬申まで、六十九年に及べり。此像は三代目上村吉右衛門の肖像なり。今その流
れをくみて源をたづね、末をみて本をわすれざる人々にあたふるものならし
くれないの色に梅酢をときそめて色をもかをもする人ぞする〟
◯「近世錦絵製作法(七)」石井研堂著(『錦絵』第廿九号所収 大正八年八月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション) ※(カナ)は本HPの読み
〝(彫刻の四 見当)
錦絵の、一糸乱れず巧みに施彩さるゝは、各色の版ごとに、只これ見当を力にして摺り、各色を正し
き位置に摺り成すことを得るからである、見当とは、西式石版の色摺ものに言ふ所の摺合せ十字に同じ
く、摺るべき紙を版上に下す時の位置を示す足定線のことである、墨版彫刻の時に、向ふ見当とて、刻
者の反対の側に、絵の枠に平行して二個を付刻す、一は曲尺(かねじゃく)状で一は一文字状、曲尺状な
るは右方に在りてカギといひ、一文字状なるは左方に在りて引付(ヒキツケ)といふ、カギは紙の一角を受く
べき直角、引付は、紙の一辺の線に平行す。
色わけ用の校合摺には、皆この二ヶの見当を摺込みおき、又之を各色版の見当とするから、色版は幾
枚に別れても、絵と見当との距離は比較的同一に出来上り、しつくり合ふ所の摺り合せを得るのである〟
◯『本之話』(三村竹清著・昭和五年(1930)十月刊)
(『三村竹清集一』日本書誌学大系23-(2)・青裳堂・昭和57年刊)
〝見当は、右を「カギノテ」左を「引付ケ」といふ〟
◯『浮世絵と版画』p96(大野静方著・昭和十七年(1942)刊)
〝彫刻に当り第一番に刀を下すのは見当である。見当といふは摺に際し紙の一端を当て色数を重ね摺るも
滑らぬ為のもので、右端下方に鍵形を彫り、左端下方二三寸内部へ横に一線を入れるのである。右方の
鍵形を「鍵」と称し、左方の一線を「引附」といふ。引附の横線は鍵に当て線の方へ引附るやうにして
摺るのでこの名がある。竪絵ではこの見当のことを「尻見当」と呼んでゐる〟