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☆ げんきんやすうりかけねなし 現金安売り掛け値なし浮世絵事典
   ◯『我衣』〔燕石〕①187(加藤曳尾庵著・文政八年(1825)以前成立)   〝現金安売掛直なし、根元は、元禄年中、越後屋八郎左衞門と云呉服屋、本町にて仲間はづれのものなり、    これによつて、駿河町木戸際に、間口六間に奥行十間ほどに住て、絹、紬、郡内、桟留、木綿染の類を    仕入、上物はなし、上物は本町にて調る事なり、然るに、町人男女共、衣裳能き物御停止、絹以下と御    触有之節、春の事なれば年始に出る事不能、郡内嶋を人々求めたり、右越後屋、御触なき前に郡内等の    安物多く仕入たれば、此節格別下直に見えて、人々越後屋へ集る故、繁昌のように見ゆる、後には贔屓    出来て、同直段にても、越後屋/\とて大に繁昌す、享保六年、焼失して呉服店とは成ける、北本店通    室町三丁目角まで、一見世となる、切れ店の方、西へ六七間程、寛保三年広がる、木綿店、元文五年、    東へ十間ほど広がる、其後、家城 本町、伊豆蔵 同、富山 同、皆々越後屋にならふ、    享保十年、本町越後屋新見世出る、元文に通町(横に◇が三つ繋がる屋号)【本町二丁目南側】、寿字    【宝暦九卯年店を仕舞ふ】延享元年迄に出る。正徳年中、尾張町夷屋。亀屋、浜田屋等も、皆享保以来    也。見附の島屋、元文以来。伝馬町大和屋、延享二年の春。本郷伊豆蔵、十一屋は、享保年中也。芝四    国町に荒木出見世、元文年中。    此以後此類何軒も出たれども、中々越後屋に不及〟