Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ かわびらき 川開き浮世絵事典
 ◯『絵本風俗往来』菊池貴一郎(四世広重)著 東陽堂 明治三十八年(1905)十二月刊   (国立国会図書館デジタルコレクション)   ◇上編 五月 両国川開き(36/98コマ)   〝五月二十八日は両国川開きとて、鍵屋の煙火を打ち揚ぐ、青龍流星十二提灯の仕掛け、また客の別に打    ち揚ぐる等ありて、終夜の賑はひなり、当日数日前より船宿の船は皆売り切れとなる、其の夜日暮れ前    より、花火見物の大小船、川筋より漕ぎよせ、両国川を船もて埋め、さしも広き大川を船から船に足を    運び、向岸へ歩して行く程なり、西岸の並び茶屋は絵灯籠を出だし、軒につりし提灯は数限りもあらず、    川の両岸の点灯星の如く、三線(さみせん)笛太鼓の音、雷の如くなる中に、煙花一発するや、玉や鍵屋    の声は山の崩るゝに同じく、花火終りて遊び船の残らず引き揚ぐると同時に、明烏の声を聞くというは、    此の川開きなり、其の繁昌いふばかりなし、川開きは花火にあらずして、其の繁昌にあるといふべし〟   ◇上編 五月 柳橋芸妓煙火を避く(37/98コマ)    当時芸妓の江戸随一は吉原とす、吉原芸妓に次ぐ者柳橋なり、例年両国川開き、煙火打ちあげの当夜は、    柳橋の芸妓は川開き客を避けて、場末の地に至りて居るより(ため)、柳橋には芸妓たる者居らず、是を    芸妓売り切れしとて断る、其の実売り切れしにあらず、川開き客は柳橋芸妓の嫌ふ所なるなり、この日    は芸妓等、皆素人の如く身をやつし、根岸鶯春亭などに遊び、涼風の静かなるに閑散を愛すとは、柳橋    芸妓の一見識と、当時の粋士猶更(なほさら)めでし所なり〟   ◇中編 五月 両国の川開き(31/133コマ)   〝五月廿八日は川開きとて、日暮れより花火の打ち揚げありて、江戸中の涼み船は皆すべて大川へ漕ぎよ    するより、さしも広き大川も船もて埋め、東の岸より西の川岸へ船から船を歩して行かれし程なり、又    両国の橋上より川の両岸は人と燈火にて埋まりたり、打ち揚げの花火は十二提灯といふにて止みけるよ    り、陸の人川の船四方に散じける頃は、夜も白(し)らむるが川開きの賑はひの常にして、此の賑はひを    ぞ川開きと覚へしまゝ、もし此賑はひなくんば、何程の花火を見物せるも、川開きとはせざりと覚え来    たりしなり、又此の夜市中遠近の別なく、花火の見え得べき限りの所にては、屋上又は火の見且つは物    干台へ登り、煙花中天に開くを見ては、玉やと呼び、鍵やと叫ぶ、されば川開きは両国近隣のみならず    江戸中の賑はひといふべし、其れ以前の川開きといふ、此の月此の夜初めて大花火の催しあるより、夜    々打ちつゞきて涼船大川へ出でて、涼み花火の催しありて、川は賑はひ、陸は両国橋前後共涼み茶店、    或ひは見世物興行、扨(さて)は飲食店、又は諸商人の露店(よみせ)の夜業始まりて、七月終る迄打ちつ    ゞきて人出でたりとなり、天保以後は煙火の催し二次(にど)三次(さんど)夏中にありて止みぬ、其の他    涼み煙火といふもの絶へたり、随つて涼み船も大ひに減じける、又掛け茶店其の他の夜業、涼み客は随    分賑はひたり〟