Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ かしらぼり 頭彫り浮世絵事典
  <彫師(板木屋)の役割分担>    A 文字彫(筆耕彫)(書物問屋があつかう儒仏経典・史書などの古典の彫刻)      (彫工が修行するには文字彫から入る。文字さへ彫れると画もまた彫れるという)    B 絵(画)彫(読本・摺物・大錦・合巻の彫刻)      別称:大錦屋、合巻屋(上掲のうち大錦・合巻の彫師を篆刻家はこう呼んでいた)      〈篆刻家とは「鉄筆を業とする仲間」〉     1 頭彫の仕事分担       ①顔と生え際の毛割       ②櫛笄簪などの装飾品〈下掲石井研堂によるとこれは胴彫りの分担とする〉       ③女の髪の毛がき(通し毛)       〈下掲石井研堂によると「頭の毛筋の長く通るを通し毛といふ」具体的には「水にぬれた毛、幽霊の毛、振り乱し        た毛」とある〉     2 胴彫の仕事分担       ①衣服の線       ②衣服の模様       ③背景の風景や屋台引       ④文字や図様のないところを浚って凹面にする     錦絵(多色摺)の場合、以上に加えて次のような分担がある     3 色彫 色板の彫り  ◯『錦絵の彫と摺』石井研堂 芸艸堂 昭和四年(1929)刊   (第十一章 彫師と摺師 甲、彫師)p104   〝一番の板を彫るに、各部分業、顔面と頭髪など精巧を要する至要部は頭彫がほり、櫛笄や衣裳其他の部    分は、一切胴ぼりの彫る所であつた〟    〈「一番」とは錦絵一枚分の(墨と色板を合せ一枚の錦絵を成すに足るだけのもの)板木をいう 〉   (第十一章 彫師と摺師 甲、彫師)p106   〝最も六ヶしいのは髪の毛である。其の生え際の、鬘ならば羽二重といふべき部分などは、版下には、毛    筋一本有る訳ではなく、只大体のあたりが有るだけである。それを一筋づつほり分け、刀の順序を正し    て完全に彫り上ぐるのが、所謂毛割りで、彫師の専有する妙技である。    更に之を委しく言へば、毛髪の生え際を、先づ生え際形に切り廻し、富士額の中心から始めて、左右へ    一本々々割り出し、或は眉の末を引伸ばした辺の見当なる鬢に、先づ一髪を彫り出して中心となし、そ    れに準じて上方へも下方へも、或は並行線、或は放射線状に、髪の形に応じて割り出しながらほり上げ    るのである。又頭の毛筋の、長く通るを通し毛といふ、同じ通し毛でも、水にぬれた毛、幽霊の毛、振    り乱した毛など、各其特性を現わさなければならない、又毛割の一種で、数本おきに太い毛のあるもの    がある、これ櫛目を現わしたもので、之を八重毛といふ、ともに、全く版下に無い所のものを彫り成す    のである、人物画の胴体や衣裳や付立等は第二三流の庸工で彫り成せるが、上記顔面部及び毛わり手足    の指さき等は、彫師中の良工でなければほれない。所謂頭彫胴彫の別を生ずる因由で、甚六ヶしい小部    分だけを、親方株の頭彫がほり、他の全部は弟子や職人中の得意々々を察知し、指図をして之をほらせ    る、即ち手足を一番弟子がほるとすれば、其衣紋や模様や背景の各部は、二番弟子三番弟子乃至それ以    下の弟子に分担してほらせる類で、其順序は、頭彫の仕事を最後として、一枚の板が彫り上りとなるの    である。源氏絵などのやうに、衣裳其他手の込んである版は例外として、大首の芝居絵などは、頭彫が    全工賃の三分一、胴彫が三分二を得る位のものである〟  ◯『浮世絵と板画の研究』(樋口二葉著・昭和六年七月~七年四月(1931~32))    ※ 初出は『日本及日本人』229号-247号(昭和六年七月~七年四月)   △「第三部 彫刻師」「四 文字彫と絵彫」p137-8   〝彫刻には文字彫または筆耕彫というのと画彫との二ツがある。文字を彫る者は専門に文字を彫り、画を    彫る者は画ばかりを専門に彫つて居るやうに思ふ。(中略)    錦絵を彫るのも読本の挿画を彫るのも、同じく絵を彫る画彫に違ひないが、錦絵や合巻ものゝ絵を彫る    のは、斯業者間には画彫の名は与へなかつた。彫師と云ふ名称も附せず、あれは大錦屋だと云つて、彫    工の内でも下位に置かれて居たのである〟    〈書物問屋が出版する儒仏史書等に関わる彫師と、地本問屋が出版する錦絵や合巻に関わる彫師とは、同じ彫師であり     ながら明確に区別されていたようである〉   △「第三部 彫刻師」「七 頭彫と胴彫の分業」p147※ここでの(よみかな)(漢字)は本HPが施したもの   〝大錦屋の彫工には(中略)頭彫と胴彫りとがあつて、頭彫りは頭部ばかり即ち顔面から毛髪の一局部を    彫る者で、其の他の処に刀を下すことはせぬのだ。同じ頭の中でも女の髪には種々装飾がある。櫛であ    るとか笄(こうがい)であるとか乃至(あるいは)釵(かんざし)などの類があるが、此の装飾物に対して頭    彫りの責任がない。夫れ等の処は遠慮なく残して置いて、金輪(際)刀を降すもので無いのである。是れ    等は胴彫りを引受けて彫る職業者の管轄範囲に属するのだ。胴彫りとは云(へ)ど必ず胴ばかりを彫るの    で無く、頭以外の処を引受けて彫るので、絵その物の全局に就ては最も多き場面に刀を耕し、最も多い    労力を費して仕揚げて居るのである。又この胴彫りと云れる中にも単に人物の身体を彫るのみでない。    背景も彫れば屋台引きも彫る、手廻りの道具も彫れぱ色板も彫るのだから、頭部を除くの外は皆胴彫り    方の手数を要する〟    〈錦絵や合巻の彫りには頭彫りと胴彫りとがあって、頭彫りは頭部の顔面と毛髪のみ、胴彫りはそれ以外のすべてと、     それぞれ役割分担が決まっていた。分担は技術的な能力によって分けられ、上位のものが頭彫りを下位のものが胴彫     りを担当する。そしてこれがさらに細分化されていて「四 文字彫と絵彫」の記事(p139)にはこう     ある〉   〝頭彫りにしても、実際に手腕を有する頭彫りは顔と生際の毛割より彫らない。髪の毛、殊に女の髪には    種々の装飾物があるから、之を彫る者がある、又女の髪の毛書「通し毛」ばかりを得意で彫つたと云ふ    者もある。胴彫りにしても衣紋の線を彫るものは線ばかりに刀を入れ、模様を彫るものは模様ばかりを    彫り、背景の景色に屋台引き等を彫るもの、また浚ひと云つて彫刻しない分を鑿でコツ/\浚ふものも    ある〟    〈頭彫りの専門分野 1 顔と髪の生え際の毛割り 2 櫛笄簪等の装飾物 3 女の通し毛(毛筋)       胴彫りの専門分野 1 衣服の線 2 衣服の模様 3 背景(家屋内外)の景色               4 文字や図様のないところを浚って凹面にする     生業の支えである職域をお互いに侵さないようにするためであろうか、分業が徹底している。さて以上のなかで、彫     りの技術的最上位にあるものが頭彫り1の顔と髪の生え際の毛割りを担当する。ここが錦絵彫師の頂点なのである。     ここであらためて彫師とその仕事分野を整理すると以下のようになる。      文字(筆耕)彫師:書物問屋があつかう儒仏経典・史書・古典の文字      絵彫師:絵本・読本の口絵挿絵      大錦屋:錦絵・合巻の口絵挿絵     彫りの技術上の優劣は別として、どうやら彫師としての格はこの順蕃であったらしい。加えて大錦屋の場合は、技術     上の優劣に応じて、頭彫り・胴彫りに分類され、さらにその頭彫り・胴彫り上掲のように、仕事が細分化されている。     錦絵の彫師の頂点である頭彫り、とりわけ「顔と髪の生え際の毛割り」の領域に達するためには、越えねばならない     ハードルがたくさんあるのである〉