☆ 文化九年(1812)
◯『きゝのまにまに』〔未刊随筆〕⑥99(喜多村筠庭著・文化九年記事)
〝十二月、カラントウと云癪の薬売ありて、菅笠を著、蛇の目の紋付たる胸当をかけたり〟
◯『寐ぬ夜のすさび』〔新燕石〕⑦233(片山賢著・写本)
〝伽蘭湯
八九年ばかり前なりし、伽蘭湯といふ薬をうりて、街をあるくもの流行せし事あり、其さま、旅の如く
前のかたに朱にて蛇の目をかきたる菅のさんど笠をかぶり、同じ紋のつきたる胸あてをかけ、風呂敷包
を背負ひ、もも引わらんじにて、蛇の目のつきたる扇をひらき「がらアん」と引捨て、一丁計り行き、
拍子をとりて足ぶみしながら、ひつくりかへつて「とう」といひて薬をうりあるけり、ひとりあるきし
あり、二人三人つれだちてあるきしもあり、しきりにおこなはれて、酒興のときなども、真似をして、
わらひ興じなどせしが、今はすたりていひ出すものさへなし〟
〈文政5年(1822)頃の記事。これから8-9年以前とすると丁度文化10年頃に相当する〉
◯『此花』第六号(朝倉亀三著 此花社 大正二年(1913)三月刊)
(国書データベース)
◇「振売風俗図説」
〝ガランタウ売
(上掲『寐ぬ夜のすさび』「伽蘭湯」記事)記事を引いて)
此売薬は癪に利くといふのみにて、実際功験あるにあらざれども、其呼声の奇にして身振の可笑しきと、
一度通り過ぐれば、跡より呼戻して購はんとするも、決して引返さざるとgあ、所謂江戸児の気に入る
所となり、日々売切れの繁栄を来し、後には浅草黒船町に於て、屋根に金看板を掲げたる大見世を開き
浅草名物の一となりしが、元より効能ある薬ならねば、いつしか世に廃りて、文政に至りては『寐ぬ夜
のすさび』に「今はすたりて云ひ出す者さへなし」とあるが如く、行商はもとより浅草の店も何時しか
閉ぢて、僅かに其異風を絵草紙にとどむるのみになれり。
がらんぼう(ママ)蛇の目のもんは世の人に のませんと思ふしるしなるべし 曲亭馬琴〟
〈勝川春亭画『磯せゝりの癖』(文化10年板)から挿絵を載せるが、〔国書DB〕に同書が見当たらない〉