☆ 明和四年(1767)
◯『寝惚先生文集』〔南畝〕①352(陳奮翰子角(大田南畝)著 明和四年九月刊)
〝江戸四季の遊び 四首 冬
忽ち聞く顔見世 番付売人(ウリテ)の声 正に是れ芝居好き 応に夜霧(ヤム)を侵(ハラ)つて行くなるべし〟
☆ 明和七年(1770)
◯『娯息斎詩文集』闇雲先生(狂詩・狂文集) 当筒房 明和七年(1770)刊
(新日本古典藉総合データベース画像)
◇江戸の繁華
〝東都(とうど)の曲
(前後省略)
戯場(しばゐ)の大入暁を侵(おか)して争い 吉原の全盛は人をして驚かしむ〟
◇顔見世
〝顔見世に題す
人は群がる市松が店 貴賤共に浮かれ来たる
積み物道を塞いで夥(をゝ)く 燈篭檐(のき)に連なつて開く
毛氈桟敷に靉(たなび)き 狂言舞台に暉(かがや)く
大入り世界を傾け 暫くの聲一陽を催す〟
〈この佐野川市松は二代目。初代が石畳模様をはやらせ、以来これを市松模様と呼び慣わす。桟敷席の手摺りには茶屋が
用意する毛氈が誇らしげに掛かっていた〉
☆ 明和八年(1771)
◯『絵本三家栄種』北尾重政画 明和八年正月刊
顔見世光景 中村座 北尾重政画(国書データベース)
〝顔見世やこの二丁まち明の春 慶安のころ今のさかい丁へうつれるよし およそ百五十年相続すと
猶ゆくすへこそ久しけれ〟
☆ 天明七年(1787)
◯『よしの冊子』〔百花苑〕⑧50(水野為長著・天明七年十月記)
〝来月朔日ハ芝居顔見世ニ候へ共、御時節柄故顔ミせと申候沙汰もなく、たま/\人の咄にも、最早顔ミ
せ時だが、いつもの通り顔見世するかしらぬ申候くらゐのサタ之よし〟
〈田沼意次の失脚が前年天明六年の八月から十月にかけてのこと。田沼派一掃の政局が進行中の顔見世である。息をひ
そめるようにして見守っていたのである〉
☆ 天明八年(1788)
◯『よしの冊子』〔百花苑〕⑧224(水野為長著・天明八年十月記)
〝芝居の桐座も当顔見せより元の市村羽左衞門に相成候付、是も御時節がら是迄昔に立かへると人々悦び
申候よし〟
☆ 文化九年(1812)
◯『藤岡屋日記 第一巻』①134(藤岡屋由蔵・文化九年十一月記)
〝文化九年申年霜月
三座芝居顔見世見立評判
色気付た娘 堺町 心ハ いれたくともはいらぬ
五色茶漬 葺屋町 心ハ うまくてかへるが高い
壁にぴつたりと押付たおきごたつ 心ハ 三人より外ハ当たらぬ〟
☆ 文化十一年(1814)
◯『豊芥子日記』〔続大成・別巻〕⑩446(石塚豊芥子・文化十一年十一月記)
〝顔見世戯話
文化十一戊十一月顔見世、中村座へ若女形中村大吉下り、尾上松助梅幸と改名、入替番附に中村大吉の
足のゆび六本に画きしとて、此故に火に崇ると世間の評判なりし、当座組歌右衛門、市蔵、梅幸、三津
五郎、立役揃て女形少し、市村座へ嵐三五郎、中山舎柳など下り大当り、中村座不入にて、其節何もの
か、
名人が三人よりて狐けん今助化され客はこん/\
市村座大名題「世界花菅原伝授」天神記書替なり、大切浄るり「御摂花吉野拾遺」清元延寿太夫相勤、
富本斎宮改名、
ことし市村座へ嵐三五郎、其外京より下り役者多く、座頭市川三舛も木挽町へ行べき杯聞えて、大名題
の絵にも、三五郎、【金岡】幸四郎、【渡唐天神にて天蘭漢】半四郎【膿藤原時平】のみにて三枡はな
し、然るに霜月四日に、団之助助高屋の絵な画たし、又々三枡天神の荒の所を、絵馬やうの物を画きて、
看板の上につけし、いかなることにやおかしく、江戸わらんべの口ずさみに「座がしらを吹とばしたる
大嵐あたりはづれて三五十八」「市川の七代もてる鉄扇でとく打くだけ嵐三五樹」「看板は荒神様のお
絵馬かとよく/\見れば天神の荒」
嵐三五郎の狐の所作事、【吉野拾遺御目見え狂言に】
名人か何かしらねど野狐の飛あがるほどたかひ給金
市川三枡の三役
天神もすくね太郎も正行もよしの拾遺の雪の大入
(鎌と◯の図あり)かまわぬといへども真の座頭は嵐にまけぬ花の江戸ツ子〟
◯『江戸名物百題狂歌集』文々舎蟹子丸撰 岳亭画(江戸後期刊)
(ARC古典籍ポータルデータベース画像)〈選者葛飾蟹子丸は天保八年(1837)没〉
〝芝居 顔見世に紅葉のにしき着かされどあきたにみえぬ土間とさんじき
鳥居家のひやうたん足の看板に鯰坊主も見ゆるかほみせ
㒵見世の入替る坐の役者さへみなこのみある銀杏たち花
おさへたるひさごのやうにかしましきなまづ坊主の出るかほみせ
橘のやくらのまくもむかし風袖かんばんもにほふかほ見勢
かほ見世の羅漢桟敷にむかし人親によく似たしばらくもみつ
坐しきまでこよひにぎはふ㒵みせやぞうにの菜さへつみ物にして
うたゝ寐の夢も一まく明からすおきな/\ときほふ㒵みせ
つげ渡る一ばん烏二番とり三番叟より這入るかほみせ〟