◯『我衣』〔燕石〕①184(加藤曳尾庵著・文政八年(1825)以前成立)
〝享保頃より、かんざしと名付る物、
( かんざしの図)【上、耳かき、下、髪かき/銀にて作る】
( 梅の枝に短冊の図)
元文、寛保の頃には、舞子、金銀にて、梅の枝に色紙、短冊を付てさす、往来すれば音のするやうにこ
しらへたり、延享元年、金銀の櫛、笄、かんざし堅く御停止、其後、象牙、つの、べつかう、錫等にて
こしらへさす、寛延より、御停止にかまはずさすなり〟
◯『増訂武江年表』1p143(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)
(元文年間・1736~1740)
〝舞子の花かんざしはやり出す〟
◯『増訂武江年表』2p(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)
(宝暦年間・1751~1763)
〝婦女の衣類、丁子(チョウジ)茶の色を好み、花簪(カンザシ)はやる。朱塗の櫛(旭の櫛といふ)象牙の笄
(コウガイ)も行はれたり〟
◯『近世風俗史』(『守貞謾稿』)
(喜田川守貞著・天保八年(1837)~嘉永六年(1853)成立)
◇巻之十二「女扮下」②247
〝今世、江戸の笄簪、図のごとく短きを流布す。しかりといへども画図を見るにはなはだ長く画ける物多
し。故に、先日始めて江戸に来る大坂の女客あり、その簪太だ長し。その故を問へば、江戸にて短き物
を用ひず、必ず簪は長きを流行と察して、特にこれを製す所なりと。なんぞ再び問ふ、何によりて察し
て長きを流布とすと云はば、江戸一枚摺(ズリ)と云ふ錦絵(ニシキエ)を見るに笄簪太だ長し、故に江戸風に
倣ひてかくのごとしと。今当所に来て画図の非なるを知るといへり。今世の人すら東西この誤りあり。
いはんや後世の人、今の画を見て証とすること用捨あるべし〟
〈喜田川守貞は「片はずし髷」のところ(同巻の②248)で、曰く「浮世絵には専ら真を写さず」「これその画面の美
を専らとして真を失す」と。笄簪を長く描くのも同じであろう。「髷」の項、参照のこと〉
◇巻之二十「妓扮」③231
〝江戸吉原遊女の扮は、京坂の太夫・天神よりはなはだ華なり。江戸市中の笄は今も長きを用ひ、櫛もは
なはだ大形なるを二枚さし、簪背の左右各三本、皆耳掻(ミミカキ)と髪掻の間に定紋、あるひは花形等の作
りものありて、御殿女中の条の図す銀釵(ギンサイ)の形に似て、またはなはだ長く八、九寸もあるべく、
前の左右には紋なしの簪、左右これまた各三本をさし、簪すべて十二本さし、または櫛の伏せざるやう
に、前より竪に一、二本さすもあり。髷尻を高くし専ら島田髷なり〟
◯『増訂武江年表』2p214(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)
(慶応三年・1867)
〝下賤の婦女簪(カンザシ)二本をつかねて頭へさすものあり。めをとざしといふ〟