◯『宝暦現来集』〔続大成・別巻〕⑥145(山田桂翁著・天保二年(1832)自序)
〝看板書云事、寛政頃より町方看板行燈など書歩行、最初は障予行燈之類張替置て、来るを待て為書たり、
今は紙を持来たり、張たり書たり、次第に世話もなきやうに調法にぞ有ける、なれども看板書計の商内
にて、妻子をやしなひ立派に暮を見れば、書せる人の銭はへるなり、皆此類世上に近年甚多なりける〟
◯『近世風俗史』(『守貞謾稿』)巻之六「生業下」①301
(喜田川守貞著・天保八年(1837)~嘉永六年(1853)成立)
〝三都ともに市店にこれなく、ただ江戸の陌上を巡る生業
看板書き
天明以来これを始む。筆紙・硯(スズリ)および糊をも筥に納め負ひて、府内および江戸近国ともに巡り業
とす。茶店・食店・髪結床・船宿等の障子、あるひは掛け行燈の類を即時に張り替へ、屋号・記号およ
び賈物の名等、需めに応じてこれを筆す。その書法卑俗なりといへども、一書風ありてこれを良とす。
京坂にありてはこの類多く、提灯工これを書く〟