◯『無名翁随筆』〔燕石〕③277(無名翁(渓斎英泉)著・天保四年(1833)序)
〝宝暦、明和の比は、今、切絵と云て、みよし四ッ切りの三遍摺の絵有、是等の類ひ成べし、且は、後大
奉書摺となりし、奉書二ッ切を大錦と云、今は、大奉書、中奉書は不用、イヨマサと云紙を用ゆ。合に
しきも最上紙を用ゆ。伊予奉書二ッ切を合錦と云へり。みよし二ッ切を小合錦と云う。大錦二ッ切は中
錦、合錦二切は中合と云、伊予奉書竪四ッ切をきめと云、其外種々の紙数品、国産の紙を【国紙と云】
用ひて、様々の唱へありといへり〟
◯『桂翁雑記』(石井研堂著『錦絵の彫と摺』・昭和四年刊より)
〝役者の一枚絵、天明の頃までは三つ切なり、三つ切の節、新版は一枚八文、古版は六文なり、又糊入三
つ切にて、一枚二文三文に売たるも有り、一枚絵草紙類、例年正月元日より売来りしが、寛政の中頃ま
でにて来らずなりぬ〟
〈石井研堂はこの天明頃の三つ切を伊予などの柾紙と推定している〉