◯「読売新聞」(明治23年(1890)11月30日付)
◇角兵衛獅子
〝角兵衛獅子の産地は越後と定りたる如くなれども 其(そ)は只獅子の祖国と云ふに過ぎず 幕府の中世
より其の親方とも云ふべき者は 小石川柳町に在りて大小八軒の株を有せしが 獅子を仕立つるの方法
大いに惨虐にして 到底脆弱の人類を造るものなれば と世の識者は頻りに之を排斥し 早晩此の業の
跡を断たんと欲したるに 警視庁に於ても大いに之を賛成し 徐々其の手続きに及ばれたれば 今は僅
かに一名あるに過ぎず 随って獅子舞の小児も僅か十名許(ばかり)なれば 警視庁は現在同業の外(ほ
か) 新たに此の種の獅子児を仕立つるを厳禁されたりといへば 今より六七年を出ですして 此の憐む
べき角兵衛獅子は悉く跡を蔵(をさ)むべきなり〟
◇迷ひ獅子
〝今より十三四年前 角兵衛獅子を十名ほど 外国人に売り込むたるものありたるも 獅子児元来脆弱に
して異境の風土に打たれ 大抵死亡したりを云ふ 其が中に某獅子一人生き残りて 頻りに帰国を望み
けれども十有余年間雇ひ主の使役激しくして 何国(いづく)の語(ことば)も満足には出来ざるより 大
いに其の方便を求めるに困しみしが 深切なる支那人 僅かに其の希望を察し 此の程之を伴ふて東京
へ来りしが 元より幼時に買はれしものなれば 何地(いづち)何某の子にて其の名を何と呼ぶべきやも
知れざるに付 便るべき所もなければ 新橋停車場際の巡査派出所へ救助を乞ひたるに 何(いづれ)の
ものとも知れざれど 角兵衛獅子営業のものと聞きて 直ちに小石川柳町を教へたれば 同人も漸くに
して其処(そこ)へ至り 遂に初音町なる親方柴田巳之吉を尋ね当て 段々親元を問ひ合せたれども 此
もの元より其の売り込みに関係せざれば 其の親元を知るべき様なけれど 同業なるを憐れみて 之を
引取り目下其の戸籍を作らんとて 小石川区役所へ出願中なりと云ふ〟