◯『江戸名物百題狂歌集』文々舎蟹子丸撰 岳亭画(江戸後期刊)
(ARC古典籍ポータルデータベース画像)〈選者葛飾蟹子丸は天保八年(1837)没〉
〝諸国出開帳
名にひゞく那智の大悲の観世音滝のおと羽に出開帳せり
秩父から来る御仏も大江戸へ札をうちてぞはやるかいちやう
角力場のあとへ宿祢の出開帳ひねりて投げる数の賽銭
嵯峨の釈迦回向院にて開帳と汗をもふきて参る夏の日
あつき日も汗をふき/\講中のいてう世話やく嵯峨の開帳
まんまくもにしき色とり萩桔梗野べに名負はすさがの開帳
善光寺かいちやう仏のいろなして臼にのせつゝ粟餅やうる
出開帳さが野の釈迦に女郎花まなめく色は参詣の妹
三国をわたる仏の開帳に両ごくかけしはしもにぎはふ(拾遺)〟
〈護国寺 回向院 開帳 那智補陀洛山寺観音 秩父観音 嵯峨釈迦 善光寺如来
弘文堂の『江戸学事典』によると、善光寺如来の回向院開帳は文政三年(1820)が江戸時代の最後。嵯峨釈迦は化政期
以降では文化七年(1810)・文政二年(1819)・天保七年(1836)。秩父観音は十二年に一度午の年の開催、文化七・文政
五・天保五年が相当する。補陀洛山寺観音の開帳は不明〉
◯『絵本風俗往来』中編 菊池貴一郎(四世広重)著 東陽堂 明治三十八年(1905)十二月刊
(国立国会図書館デジタルコレクション)(26/133コマ)
〝(三月)開帳
開帳は三月初めより五月迄に終るは時候に利してなるべし、会長日数は大方百日間、寺社奉行へ願ひ済
みの上(うへ)行ふものとす、千住口・四ッ谷へも着し、それより江戸兼ねて当たる開帳の場へ、御着な
るといへども、多くは品川へ着し、その翌日江戸へ御着となるものとす、法華宗門の開帳は法華の諸講
中のみ出迎ひをなす、其の他は冨士講・成田講・大山講中等出迎ひに到りて、其の賑はひ山王・神田の
両祭りにつぎて雑沓群集す、開帳場は諸講中並に盛り場及び相撲・諸芸人より奉納の造り庭、種々なる
奉納物、作り物等出来、掛け茶店・見世物の諸興行、飲食店諸商人の露店建てつらなり、朝早天の朝参
り、夜に入りて夜参りありて、参詣の群集実に夥しく、随つて開帳場近隣の繁昌、是また莫大なり、此
の開帳場に当たる寺院内・社内、数ある中(うち)、両国回向院に於て催す開帳の上に出る繁昌なし、勿
論宗法によりては深川霊眼寺・下谷土富棚長遠寺に於いて行なふ、又法華にては身延山の祖師の尊象其
の他は成田山不動明王、京都嵯峨の釈迦如来、小田原なる道了大権現等は抑(そも/\)繁昌なる開帳と
す〟〈いわゆる出開帳である〉