△『実見画録』(長谷川渓石画・文 明治四十五年序 底本『江戸東京実見画録』岩波文庫本 2014年刊)
〝辻駕籠は、遊女場等の通路に多く出るもの、商家の軒下、又は木戸際抔(など)にてカゴ/\と云つて客
を呼ぶ。是は勢のよきものには非ざるなり。
宿駕籠にて有名なるは、大伝馬三丁目の赤岩、神田材木町の白岩、浅草瓦町の江戸勘、芝口一丁目の初
音や等にて、実に勢のよきものなり。三枚と云ふて、一人を増し三人となれば、大伝馬町より吉原迄、
半時以内、今の一時間を要せず。宿を出るときと先へ着くときは、一町位手前より、ホイ/\と云ふて
掛声をなす
「ホヲイ 「御機嫌よう〟〈幕末から明治初年にかけての見聞記〉
(以下、花咲一男の「辻駕籠・宿駕籠」の注解)
「竹を四つ柱としてできているので、四ツ手駕籠とも呼ばれている。エホイ、エホイ、という掛声から
「ホイホイ駕籠」と云う人もある。(中略)四ツ手駕籠の運賃は、日本橋から新吉原大門口まで、大体
二朱、銭で云うと八百文位。急ぐ時には、駕籠かき三人にすると、三朱、四人の場合は一分と云つた勘
定になる。
宿駕籠、「やどかご」と読む時は、市中の辻駕籠に対して、町の駕籠屋に傭われて待機しているものを
いう。今日のタクシーに対するハイヤーの格に近い。これを「しゅくかご」と読む時は、各街道の宿駅
にある駕籠を云う(中略)
江戸市中の駕籠は、一般に俊足で有名だが、特に吉原土手の「つばさ駕籠」と高輪大木戸、その中でも
高砂屋の駕籠は早いので著名である(以下略)」