◯『宴遊日記』(柳沢信鴻記・安永五年(1776)日記)
〝五月二十七日 珠成、紅毛影絵灯籠持参、人物之肖像獣類又ハ男女交之図十五六種を移す
〈珠成は信鴻の五男・柳沢里之の俳号。オランダ影絵の映写である〉
◯『増訂武江年表』2p29(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)
(享和年間・1801~1803)
〝蔭絵の戯、昔は黒き紙を切抜き、竹串を四ッに割りて矢羽の如くさし、行燈(アンドン)に写して玉藻の
前の姿を九尾の狐に替らし、消顛童子を鬼にかはらするの類にでありしが、享和中都楽といふ者、エキ
マン鏡といへる目鏡を種とし、ビイドロへ彩色の絵をかき、自在に働らかするの工夫をなし、写し絵と
して見する。是れより以来此の伎行はれて、次第に巧みになり、其の門葉も多くなれり(此の都楽、今
年嘉永元年七十九歳、存生して瀬戸物町に住せり〟
◯『近世風俗史(五)』(『守貞漫稿』)後集 巻之二「雑劇補」⑤200
(喜田川季荘編・天保八年(1837)~嘉永六年(1853)成立)
〝影画と号けて小玉板に種の画をかき、画の周りを黒くし、また風呂と号けて小筥前に穴を穿ち玉二重を
張り箱中に燈を点じ、燈と玉を張る穴の間に絵を逆に挟むに、前の玉に映じて逆ならず。同じ物二、三
枚を画き替へて、人物等種々動作あるがごとし。これまた寄に出て銭を募る。専ら児童を集む〟
◯「川柳・雑俳上の浮世絵」(出典は本HP Top特集の「川柳・雑俳上の浮世絵」参照)
〝目ばたきのやうに影絵の花が咲き〟「柳多留133-16」天保5【川柳】
注「座敷遊戯のひとつ。その絵はかなり猥雑なものだったらしい」「蕾が見る間に開く」
〈障子や壁に浮かび上がらせるのであろう〉
◯『百戯述略』〔新燕石〕④223(斎藤月岑著・明治十一年以降成書)
〝影絵の戯は、瀬戸物町に商店をかまへし、都楽と号し候もの、其の以前は、紺屋町の上絵かきに之有り
候処、いかなる手続歟、享和の頃、エキマン鏡と申す目鏡を種とし、硝子をもて障子にうつし候事を工
夫し、後自ら硝子へ画き、人形の働きをなし、寄せ場へ出候異を始め候て、弟子の出来、世上を流行候
おもむきに御座候、エキマン鏡、文字弁へ申さず候〟
☆ 慶応三年(1867)
◯『くまなき影』(波月亭花雪の三回忌追善集)皎々舎梅崕編 広岡屋幸助板 慶応三年刊
(花雪ゆかりの興画会メンバーの小伝と肖像影絵を配した画集)(国書データベース)
くまなき影 芳幾画 口絵 柴田是真画 方阿弥陀仏(細木)香以序 山々亭有人序 仮名垣魯文跋