◯『後はむかし物語』〔燕石〕①317(手柄岡持著・享和三年(1803)序)
〝大文字屋のかぼちやといふうたは、流行甚しかりし、宝暦二年申とおぼゆ、三囲稲荷開帳もその年と覚
ゆ〟
◯『仮名世説』〔南畝〕⑩569(杏花園蜀山(大田南畝)編・文政八年(1825)刊)
〝〔軽詆〕新吉原京町大文字屋市兵衛は、其かたち見ぐるしく、かしらもカボチヤといふ瓜に似たりとて、
みな人かぼちやかぼちやと異名せし也。顔かたちも童の謡ふうたのごとくなれば、みづから此歌をうた
ひて人をわらはせしとぞ。其比都下にてひさぎたる壱枚絵をこゝに摸写す。
其後の市兵衛、狂名を加保茶元成といへり。一とせ此内所にて狂歌の会ありし時、持仏堂をみれば先の
市兵衛が位牌あり。法名、釈仏妙加保信士とありしもおかしかりき
(文宝堂が模写した加保茶市兵衛の肖像あり。原画は西村重長画の一枚絵)〟
〈〔軽詆〕他人を軽蔑し誹る行いをした人のエピソード〉
◯『増訂武江年表』1p172(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)
〝宝暦三年の頃より、大文字屋の大かぼちやと云ふ童謡(コウタ)行はる。吉原京町大文字屋市兵衛、かたち
見ぐるしく、其の頭かぼちやいふ瓜のごとし。皆人かぼちやと異名しける故、自らかくうたひて人を笑
はせけるとぞ。蜀山人「仮名世説」に見えたり〟