◯『江戸真砂六十帖』〔燕石〕①156(和泉屋某著・宝暦初年序)
〝高島屋吉兵衛商を替る事
馬喰町一丁目高島屋吉兵衛といふ塗物問屋あり、此元祖の頃は、江戸中ありく願人坊主は、馬喰町に住
す、今は橋本町へ引移る、高島屋は願人どもへ、毎日/\袈裟衣の類、古仏、たゝき鉦、すげ笠、桐油、
布子、帷子、単物、帯、股引、諸事立廻る道具を拵へ置、損料貸しに賃金を極めて貸しぬ、大勢の願人
ゆゑ、段々人知ず今出来る、右の商ひいやみに成て、誰へ譲りて質両替屋と成て、今は片見世に塗物を
致す歴々の問屋なり、是は三代目也〟
◯『実見画録』(長谷川渓石画・文 明治四十五年序 底本『江戸東京実見画録』岩波文庫本 2014年刊)
〝チヨボクレは、願人坊主と唱へし、一種物貰いより出しものにて、時節柄の出来事を、面白おかしく諷
刺的に綴り、多くの人の集合する場所、又は日頃寄付の門口非ざれば立寄らず。求むれば、他家といへ
ども応ずるなり。
〽サアさ、聞てくんねい、赤鬼御世話で、みかんの小僧は、御所柿貰つて、割らして見たれど、種取
どころか、合体どころか、蛸の隠居は、ます/\怒るし、大根もどうやら、隠居の見方で……〟
〈幕末から明治初年にかけての見聞記〉
(以下、花咲一男の「チヨボクレ」の注解)
「チョボクレはオボクレとも云われる者で、小さな紙片を持って、時事問題をおりこんだ文句に節をつけ
て、家の門に立ち、一文二文の銭を乞うたものであるが、チョボクレの方は印刷物を売ったものではな
く、純然たる物貰いである。(中略)
最後に出てくるチョボクレの文句は、和宮降家奏請を読んだもので、赤鬼は井伊、みかんの小僧は紀
州から入った家茂、御所柿は和宮、蛸の隠居は斉昭(なりあき)、大根は尾張の慶勝(よしかつ)を云った
ものと思う。多分安政六年のことであろう」
◯「梵雲庵漫録」淡島寒月著(『七星』第一号 大正十二年四月)
(『梵雲庵雑話』岩波文庫本 p153)※(かな)は原文の振り仮名
〝神田橋本町の願人坊主にも、いろいろ面白いのがいた。決してただ銭を貰うという事はなく、皆何か芸
をしたものだけに、その時々には様々異なったものが飛出したもので、丹波の荒熊だの、役者の紋当て
なそ解き、または袋の中からいろいろな一文人形を出して並べ立てて、一々言い立てをして銭を貰うの
は普通だったが、中には親孝行で御座いといって、張子人形を息子に見立てて、胸へ縛り付け、自分が
負(お)ぶさった格好をして銭を貰うもの--これは評判が好くて長続きした。半身肌脱ぎになって首か
ら上へ真白に白粉を塗って、銭湯の柘榴口に見立てた板に、柄のついたのを前に立て、中でお湯を使っ
たり、子供の人形を洗ってやったりするところを見せたものなぞがあったものである〟