Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ いちむら たけのじょう 四代目 市村 竹之丞浮世絵事典
 ☆ 延宝六年(1678)    ◯『増訂武江年表』1p79(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   (延宝六年)   〝歌舞伎芝居座元、四代目市村竹之丞、伎芸の誉高く容貌も美麗なりしが、故ありて無常を悟り、菩提の    門に入り、今年二十五歳、佐藤兵衛憲清発心して、西行法師となる狂言をなごりとし、舞納めの日剃髪    して、舞台より笈を背負ひ、諸国修行に出る。後に本所五ッ目自性院を再興し、常行念仏を修す。世に    竹の丞寺といふ(享保三年十月十日に寂せり。年六十五。只誠云ふ、竹之丞発心は延宝七年三月なり)〟    〈竹の丞寺は亀戸の顕松山安住寺自性院。天台宗東京教区の自性院案内によると、発心は延宝七年となっている〉    ☆ 享保三年(1718)    ◯『増訂武江年表』1p122(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   (享保三年)   〝四代目市村竹之丞、延宝中遁世し、本所に自澄院とて一寺に開創し、誠阿と号し住しけるが、今年十月    十日、六十五歳にして大往生を遂げたり〟    ☆ 天保十年(1839)    ◯『藤岡屋日記 第二巻』p89(藤岡屋由蔵記・天保十年記)   〝(三月記事)初代市村竹之丞    下総国葛飾郡顕松山安住寺中興開基、権大僧都大阿闍梨誠阿    享保三戌年十月十日入寂、右は初代市村竹之丞と申、天台宗仏法皈依致し、甥を養子となし、比叡山宿    坊安住院住職に相成、其後寛文八年顕松山安住寺再興す、里俗今以、市村竹之丞寺と異名申候。     五代目市村宇左衞門百五十回忌に相当り、打混追善狂言仕候。      花筐未熟道成寺 所作事 十二代目市村羽左衞門相勤候〟