◯『嵩鶴画談』巻之五(清筠舎著・天保五年成稿・『日本画談大観』「中編随筆」所収p1002)
〝文(ママ元)禄宝永のころの板行絵に一文絵といふあり、竪五寸余巾三寸ほどあり、彩色なく墨摺なり、画者
の名もなし、是を一文絵といゝて一文にて売たるよし、或人の蔵するを見るに市川団四郎宮崎伝吉を画き
たるなり、上に役者の紋をかき下に肖像をゑかけり、筆勢は清信にもやと思わる、団四郎伝吉共に元禄宝
永の名人なれば、其頃盛に行れしものとしらる〟
◯「大阪の一文絵」朝倉無声(挿絵「堀田連山筆 新町芸娼技の図」の解説)
(『此花』第十六号 朝倉亀三著 此花社 大正三年(1914)一月刊)
〝浪華の浮世絵師堀田連山筆の新町芸娼妓図は、俗に一文絵と呼ばるるものにして、其の名称は当時一枚
一文にて鬻がれしより起りしものなり、こは当時少女の遊戯たる押絵に用ひられしものにして、絵の上
に種々の小裁を排合よく貼付し、小さき押絵となして翫びしなり。『人倫訓蒙図彙』【元禄三年版本】
に、人形衣裳は、諸の織物もて、絵を切抜これをつくる云々とあれば、古くより行はれし遊戯なるを知
るべし〟
〈堀田連山は文化期頃の絵師。上掲記事では元禄・宝永の頃とあるが、大坂では文化頃も流通していたようである〉