Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ いろざし 色ざし(色わけ)浮世絵事典
 ◯『若樹随筆』林若樹著(明治三十~四十年代にかけての記事)   (『日本書誌学大系』29 影印本 青裳堂書店 昭和五八年刊)   ※(原文に句読点なし、本HPは煩雑を避けるため一字スペースで区切った。半角カッコ(~)は本HPが施した補記   〝前に咄した錦絵の事だが 師匠は墨がきだけの版下をかいて それが彫上つて校合がすむと 其あとの    色ざしは弟子の仕事になつてゐた 弟子の芳藤といふのが此色ざしが旨かつた 銘々得意の色があつて    芳員は好んで代赭を使ふといふ風で 其墨刷へ朱で色のつくところ丈(だ)けを塗つて 其紙のはしへ    赤なら赤、黄なら黄と墨でかきつけて廻すと 板木屋はかまはず彫つて終つて 其板へ黄なら黄と書い    て摺師の方へ廻す すると摺師の方でケントウをつけて摺るのだ 摺師の方で色をぼかすには板ぼかし    【又とくさぼかしともいふ】ふきぼかし等がある ふきぼかしといふのは 一旦色をつけた上を ぬれ    雑巾でスット軽く拭き取つて摺る いゝ按排にぼかしになる 板ぼかしといふのはトクサで其処を少し    磨いて置いて刷るので トクサをかけるは版木屋の仕事でなく 摺師の方の領分になつてゐる それか    ら浮世絵師即(ち)絵かきの方では 下図をつけるのに決して本絵の様に焼筆をつかはない 朱筆で図を    つけて其上を墨でかいて了ふので これは今でも其やりかただ〟    〈これは当時東京美術学校彫刻科教授であった竹内久一(歌川芳兼の実子)の談〉  ◯『錦絵の彫と摺』石井研堂 芸艸堂 昭和四年(1929)刊   (第八章 彫の三、色板 甲、色わけ)p50   〝絵師の色わけ法は、錦絵の出来上りなる五彩燦然たる全画面の美観が、明々白々胸中に浮かんで居れば    こそ、之を分解して、左程の色おちも無く、出来上がるのである。如何に熟練とは言へ、其心匠意識驚    くべき技倆である。    が、この色わけの法は明治二十年ころまでを限り、それ以後は、全然廃れて仕舞つた、即ち近頃の版画    絵師は、石版法などの如く、最初、彩色前備の一枚を作つて之を授けるか、或は「差し上げ」と称し、    校正摺一枚に、全彩色を施して与へ、色分けは全然彫師に任せて顧みない者が多い。従つて、絵師に製    版上の酌量なく、只五十遍摺八十遍摺といふやうに、手数ばかり掛り、其割合には、見栄の無い繊弱な    肉筆まがひの摺物を得るにすぎないやうに堕落して仕舞つた〟    〈「色わけ」は「色ざし」と同義〉  ◯『浮世絵と版画』p100(大野静方著・昭和十七年(1942)刊)   〝「耕雲堂漫筆」に、歌川豊春大人が東錦絵を彩るには、数枚筋彫をした板行画に、一色づゝを絵の具皿    にときたる岱赭墨にてぬり、紅、くさ色、藍、などゝ傍らへ認め渡す〟    〈「筋彫をした板行画」は「校合摺」のこと。「耕雲堂漫筆」は蔦屋重三郎の著。「日本古典籍総合目録」には見えない〉   〝校合摺(彫師が彫り上げた墨板を使って摺師が紙に摺ったもの)を色数だけの枚数に摺り、別に一枚校    合摺よりは上質紙に摺りたる彩色用のものを添へ画家へ廻し、「色ざし」をして貰ふのである。現今で    は「さし揚げ」と称して画家の彩色を施したるものに拠つて、彫工か摺工が各色を校合用紙一枚へ一色    ずつ同色の部分だけ、色分けして色板を彫るやうになつたが、以前は画家自からが行つたのである。画    家の彩色を施したものが色摺の見本として用ひられるので、画家の指定した色ざしを得て色板を作り色    摺に着手するのである〟    〈「色ざし」とは色板を作るために絵師自身が校合摺を用いて色指定すること〉