☆ 弘化二年(1845)
◯『藤岡屋日記 第三巻』p4(藤岡屋由蔵・弘化三年(1846)記)
〝去る巳年(弘化二年)十月頃専ら流行也、本家は平永町なり、筋違の内へ出るの是本家也、其後より替
也、此すしは豆腐の油揚に飯・から、いろ/\のものを入て一つ八文也、甚下直にてあさびせふゆにて
喰する也、暮時より夜をかけ、往来の繁き辻々に出て商ふ也、当午の春に成ても益々大繁昌なれば、当
時流行唄にも、
坊主だまして還俗させて稲荷鮨でも売せたや。
ごぞんじのいづくも爰にいなりずし
ます/\売る初午のとし
(すし売りの挿絵あり、詞書きに「いなりずし 元祖 花色の半天 うこんの手拭にて鉢巻也」とあり〟