Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ いきにんぎょう 活人形浮世絵事典
 ☆ 天保十四年(1843)頃    ◯『浪華百事談』〔新燕石〕②228(著者未詳・明治二十五~八年頃記)   (天保十四年(1843)頃の記事)   〝◯江戸両国泉目吉のおばけ、是は泉目吉といふ人形師の細工の怪談人形にて、種々幽霊、或は変死人、    はりつけ等あり、其人形頗る妙作にて見物驚きたり、而して大入せり    ◯大江のからくり、大江と云は、昔よりあるからくり人形細工、又、あやつり人形の、頭、手足等をも    造るものにて、大江和助、大江忠兵衛、大江卯兵衛、大江貞橘抔いふもの数軒有、其内、観物場の大か    らくりに妙を得しは忠兵衛にて、難波新地に年々興行し、又此所にても興行せしなり    ◯婦女三十六歌仙生人形、是は尾州名古屋の木偶師が作にて、種々の女の姿を人形にせしものにて、頗    妙作なり〟    〈これらの見世物は天保十四年頃の大坂西横堀下流新築地で興行されたもの。この泉目吉は人形師、文化十二年に死亡     した絵師・泉目吉とは別人。両国とあるのは見世物を興行した場所をいうのであろう〉    ☆ 嘉永六年(1853)    ◯『増訂武江年表』2p133(斎藤月岑著・明治十一年成稿)   (嘉永六年)   〝七月又九月に至りて〈本所回向院にて伊勢国分の阿弥陀如来〉開帳あり(境内に燈心にて大なる虎の形    と豊干禅師の形を造りて見せ物とす。細工人浪花松寿軒なり。又竹田縫之助が作の木偶(デク)もあまた    見せたり。外に昆布をもて二十四孝の偶人(ニンギヨウ)をつくりし見せもの出たり。両国橋の東詰に「見立    女六歌仙」と題し、女の偶人をつくりて見する。京師の大石眼龍斎吉弘といふ人の作なり。其の容貌活    けるが如し。これ近年行はるゝ活人形、江戸に於いて行はるの始めなるべし)〟    ☆ 安政二年(1855)     ◯『増訂武江年表』2p143(斎藤月岑著・明治十一年成稿)   (安政二年)   〝二月十八日より八十日の間、浅草寺観世音開帳。貴賤男女日々参詣群集せり。同寺奥山に大坂下り活人    形(イキニンギヨウ)といふ見せもの出る。肥後国熊本なる松本喜三郎といふ者造る所なり。木偶にあらず泥    塑にあらず、紙糊(ハリヌキ)のものと云ふ。手長島、足長島、穿胸国、無腹国其の外異国人物、丸山遊女の    偶人等多く、男女とも活ける人に向ふが如し。又竹田亀吉作大象の作り物あり。見物群れをなす。又同    所にて、去年浪花に趣きて横死せし俳優市川団十郎(八代目)が肖像、狂言に出立(イデタチ)たる形、楽    屋のさま、極楽へ至り成仏のさまなど作りて看せ物とす。普通の細工なれど、贔屓大かりし俳優の自尽    をいたみし折から故、おのづからにして見物群集せり。細工人竹田縫之助清一なり。又軽わざ綱渡りの    上手増鏡勝代といふも、同所へ出て見物多し〟
   「浅草奥山生人形」 一勇斎国芳画 (1855年のものが安政二年の生人形)    (「KuniyoshiProject.com」「Comic and Miscellaneous Prints Modern Select Dolls」)    ☆ 安政三年(1856)      ◯『増訂武江年表』2p154(斎藤月岑著・明治十一年成稿)   (安政三年・1856)   〝二月より、浅草奥山に活人形みせもの再び始む(肥後熊本松本喜三郎が作なり。水滸伝の豪傑、忠臣蔵    夜討、鏡山浄るり狂言の偶人、一ッ家の姥(ウバ)、為朝に島人、遊女屋内証(ナイシヨウ)の体(テイ)、久米の    仙人布洗女など活くるが如く造りたり。この仮屋間口十三間にて、偶人の数六十二あり。看せものを開    けるうちの壮観なり)〟   〝三月二十日より六十日の間、下総国成田山不動尊、深川永代寺に於いて開帳。(中略)    看せものは、江戸細工人の造りし活人形、里見八犬伝の土偶人、曲馬軽業大女の三人兄弟(ママ)といふも    の出たり。この姉妹は下総国葛飾郡庄内領木の崎村百姓彦七娘にて、なつ十六歳、なか十二歳、とめ八    歳也。いづれも格別大なるにはあらねど肥満せる事甚だし。其の余色々の見せ物出たり〟      ◯『藤岡屋日記 第七巻』(藤岡屋由蔵・安政三年(1856)記)       ◇浅草奥山生人形 p139   〝肥後国熊本、生人形細工人 松本喜三郎 同平十郎  太夫元 小島万兵衛    入口招き人形近江のおかね、夫より浅茅原一ツ家、水滸伝、為朝島巡り、水湖伝、粂の仙人、吉原仮宅    黛の部屋、忠臣蔵夜討、夫より仕廻が鏡山御殿場、仕合之処、都合人形七十二番、木戸銭三十二文、中    銭十六文づゝ、二ヶ所にて取、都合六十四文、中にて番付十六文、目鏡を見せ四文〟    (二月二十五日、水戸家の中間、奥山の生き人形を見物しようとして、客止めに遭い、腹立ち紛れに乱     暴して、人形を打ち壊すという騒動あり。翌日は休業、翌々二十七日より再興行)   〝(三月二十六、七日、人形を預かった家で、一ツ家姥の娘を責める声が、夜中もの凄く、張り番の若者    がうなされて肝を潰すという怪異あり)右に付、翌廿八日念仏堂和尚を相頼み人形ぇ読経上げ、一ツ家    姥娘の人形は焼捨、灰を大川へ流し候よし。是は見物の諸人、一ツ家の人形は能出来た/\と評判致し、    人の気の寄所、古狸付込み右之怪をなせし事なるべし。    右人形は向島水茶やの姥、一ッ家の姥に能似て居候とて人形之図に取度由、松本喜三郎義、姥に咄し候    処に、姥承知致し、我年寄て此世に何の望もなし、勝手次第に被致よと申に付、    喜三郎悦び早速写しに図を取、人形出来致し候処に、右姥は間もなく死し候由、右に付、一ツ家姥人形    には水茶や姥の魂入候とて大評判大入也。    右人形出来は正月十五日、初日にて百両取上げ、翌十六日も同断取上げ、其後にても七拾両ならしには    取上げ候由、尤小屋を懸候には千両も懸り候との評判、二三百両 も懸りしなるべし。    右喧嘩に付、水戸家来国許に差送られ候、落首      だんまりで口をふさいで済しても生人形がものを云たか〟     ◇見世物 p153   〝(三月二十日より六十日間、於深川八幡境内、成田山新勝寺、不動明王并二童子開帳。日延十日)    右開帳参詣大群集也、日延有之、六月朔日迄、此節仮宅大繁昌致し、深川の潤ひ広大之事也、開帳奉納    物も多く有之候得共、是は番付に記し有之、境内見世物当も多く有之候得共、先荒増之分、表門に有之    候者、     一 八犬伝人形、招き人形、伏姫宮参り之処、表門入、橋渡り右手     一 生人形、招き人形、猿田彦にうずめ【いざなぎ/いざなみ】左り手     一 生人形、文覚上人荒行之処     一 曲馬  一 大女  一 蒸気船  一 名鳥等也〟
   「浅草奥山生人形」 一勇斎国芳画 (1855年のものが安政二年の生人形)    (「KuniyoshiProject.com」「Comic and Miscellaneous Prints Modern Select Dolls」)    ☆ 安政四年(1857)      ◯『増訂武江年表』2p159(斎藤月岑著・明治十一年成稿)   (安政四年)   〝正月より、浅草寺奥山に於いて、故人高屋柳亭翁が編述の稗史(ハイシ)「田舎源氏」の趣をもて作れる偶    人(ニンギヨウ)、其の余花街(イロマチ)の体(テイ)、歌舞妓狂言の偶人を造りて看せ物とす(秋山平十郎が製造    なり)〟       ◯『藤岡屋日記 第七巻』(藤岡屋由蔵・安政四年(1857)記)     ◇生人形 p440   〝(安政四丁巳年二月、両国で興行の軽業師・早竹虎吉に対抗し、浅草奥山では以下の興行が行われる)    奥山生人形      細工人御馴染   竹田縫之助      大道具大工    長谷川友吉      同        竹田芳太郎      肥後熊本     秋山(一字欠)猪次郎      同        作次郎  万助    生人形細工人、熊本秋山平十郎      看板次第    新吉原遊女屋二階之処    中の町さくら、おいらん道中    田舎源氏光氏酒宴之処      招き人形      信濃や前の所、長のれん懸ヶ行灯      母にお半、下女にでつち、人形四ツ      脇に角力取二人 大形〟     ◇生人形 p499   〝(四月十六日より両国回向院にて、上総国芝山観音寺の十一面観世音菩薩・仁王尊并霊宝開帳)     境内見世物之分    殺生石  膃肭臍  大眼鏡         大江忠兵衛作生人形 招天神・猿田彦其外    百面相人形 招官女子日遊小松引    花鳥亭 招うさぎ数疋有之    肥後松本喜三郎作 怪談招清玄    蒸気車 隅田小きん軽業〟    ☆ 安政六年(1859)         ◯『増訂武江年表』2p171(斎藤月岑著・明治十一年成稿)   (安政六年)   〝正月より、浅草寺奥山に偶人細工人肥後熊本秋山平十郎、機関細工人竹田縫之助にて、活偶人数種、又    ゼンマイからくり、宝船に七福神笑布袋等の見せ物出る(唐子の獅子舞殊に奇巧なり。笑布袋は文政三    年以来三度目なり)〟    ☆ 万延元年(安政七年・1860)      ◯『増訂武江年表』(斎藤月岑著・明治十一年成稿)   (万延元年)   ◇活人形 2p179   〝三月十五日より六十日の間、浅草観世音開帳。日毎に参詣群集せり(奥山に肥後の松本喜三郎が細工に    て、三度目の活人形見せもの出る。四十八癖と号し、男女四十八種の偶人(ニンギヨウ)を見する。喜怒哀楽    の情態をうつし、さながら生ける人に向ふがごとし。招きには龍宮玉取女の形なり。又同所に秋山平十    郎が作男女相性の偶人、竹田縫之助がからくり人形の見せ物も出たり)〟     ◇活人形 2p180     〝五月十五日より六十日の間、回向院に於いて、京都嵯峨清凉寺釈迦如来開帳。(中略)境内見せ物多く    出でし内、傀儡師(クグツ)の大人形は坐像にて高さ三丈余なり。腹の中より座敷をせり出し、又浄るりの    出語(デガタリ)をなす。又松本喜三郎作怪談其の外の活人形も出たり〟    ☆ 文久元年(万延二年・1861)      ◯『増訂武江年表』2p182(斎藤月岑著・明治十一年成稿)   (文久元年)   〝正月より、浅草寺奥山に於いて、秋山平十郎作加藤清正虎狩の活人形、竹田縫之助が作のからくり人形    を見せものとす。活人形は次第にたくみになりたれど、珍らしからねば見物少し〟  ☆ 文久二年(1862)      ◯『増訂武江年表』2p187(斎藤月岑著・明治十一年成稿)   (文久二年)   〝十二月より浅草寺奥山に於いて、怪談活偶人(イキニンギヨウ)見せ物出る(秋山平一郎作、ぜんまい機関竹田    縫之助細工也)〟    ☆ 元治元年(文久四年・1864)      ◯『増訂武江年表』2p199(斎藤月岑著・明治十一年成稿)   (元治元年)   〝浅草寺奥山竹田縫之助が作にて、活人形見せ物出る。懐胎の女腹内を開き(懐胎十月の形を見せものに    に出しけるは、両国橋手前にあり)、十月の形かはらする細工、其の外偶人の働きあり〟    ☆ 慶応元年(元治二年・1865)    ◯『増訂武江年表』2p201(斎藤月岑著・明治十一年成稿)   (慶応元年)   〝正月、浅草寺奥山に於いて、秋山平十郎作にて十二支に因ある活人形の見せ物出る〟    ☆ 慶応二年(1866)     ◯『増訂武江年表』(斎藤月岑著・明治十一年成稿)   (慶応二年)   ◇秋山平十郎 2p203   〝正月より浅草奥山見せ物、秋山平十郎活人形、竹田縫之助ゼンマイからくり等なり〟     ◇活人形 2p203   〝浅草御蔵前へ活人形見せ物出る。膝栗毛弥二北八の人形、亦遊女浴湯裸の姿を見する〟      ◇淡野当久平 2p206     〝六月二十日より六十日の間、本所回向院に於いて、三河国勝鬘皇寺聖徳太子像開帳あり(境内見せ物、曲    馬、力持、活人形、笑話家肖像、牛若丸、僧正坊、天狗、熊坂長範なり、細工人淡野当久平)〟    ☆ 慶応三年(1887)      ◯『増訂武江年表』2p214(斎藤月岑著・明治十一年成稿)    (慶応三年)   〝(四月、浅草)奥山、秋山平十郎作の活人形、竹田縫之助が細工見せもの出たれど、此の度は見物少し〟   〝六月、活偶人細工に名ありし秋山平十郎卒す〟    ☆ 明治元年(慶応四年・1868)以降    ◯『増訂武江年表』2p238(斎藤月岑著・明治十一年成稿)   (明治四年・1871)   〝二月より、浅草寺奥山にて、西国三拾三所観世音霊験の活偶人見せ物出る(松本喜三郎作なり)〟  ☆ 明治五年(1872)  ◯「高名三幅対」(番付)   (東京都立図書館デジタルアーカイブ 番付)   〝写真 大代地 内田九一 /名妓家 揚ヤ丁 品川楼/活人形 浅地内 松本喜三郞〟