◯「団十郎と似顔絵」伊原青々園著(『錦絵』第七号所収 大正六年十一月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)((かな)は原文のルビ。(カナ)は本HPのルビ)
〝 或る時、団十郎が菊五郎の処へ行つて、絵かきといふ者は役者に金を出して似顔を描くのが当り前だ
のに、国周は何(ど)うも横柄だ、と言つたさうである。其れを国周が聞いて、西南戦争の狂言に、団十
郎を出目(でめ)に描き、其の少年隊のうちへ団十郎の弟子を一人も加へないで、仇討をした。団十郎は
其れで愈(いよ/\)国周を嫌つたので、国周の方でも三枚つゞき一人立ちの絵に、決して団十郎を描い
てやらないと意地張つたが、嵐吉六や絵草紙の版元に諫められて、再び描くやうになつたそうである。
さういふ国周の描いた団十郎の百枚つゞき(注1)が残つて居ると思ふと尚ほ/\面白い。
故人落合芳幾翁に私が聞いた話であるが、芳幾翁が役者の影法師を一枚づゝの錦絵に描いて、三十幾
番も売出した時、団十郎が其の事を聞いて、面白かろう、と自分で其の錦絵の表題を『間毎(まごと)の
月』とつけた。所が筆耕が「まごと」を「まこと」と読み違へ、『写真廼月(まことのつき)花姿絵(は
なのすがたみ)』といふ表題で売出したが、原(もと)の名の「間毎の月」の方が余(よ)つぽど優美であ
るのに惜しい事をした、と言つて居られた。此の錦絵は今でも見受ける事があるが、団十郎が名前を撰
んで、其れが又間違つて付いたのだ、といふ歴史を知つて見ると、一段趣味が深いのでは無いか〟
(注1)『演芸百番』九代目市川団十郎似顔絵 国周画 明治27年頃~明治36年刊