◯『四方のあか』〔南畝〕①131(四方赤良・安永七年七月十六日(1778)記)
「大根太木十五番狂歌合判詞奥書」
〝そもそも和歌のうら店に借宅し、泉がそまつなる身の分にて、批判を何と正札付の符帳もわいだめず、
和歌三神をかけねなしの安売して、十露盤の玉をみがきける(中略)
やすらにながき七のとし文月十あまり六日〟
〈四方赤良(大田南畝)による大根の太木の狂歌合への奥書である〉
◯『月露草』〔南畝〕⑱19(四方赤良・安永八年(1779)八月十三~十七日記)
(高田馬場、五夜連続月見の宴の記)
〝(八月十三夜)山田屋何がしを思ひいで侍りて〔欄外注 山田屋半右衛門、綽号雁奴、亦号大根太木
松本氏〕
今ははや死出の山田となる人のおもかげのこる半えもんつき
なか坂やなかねばならぬなき人をたれもあはれといひ田町哉〟
〈赤良の大根太木追悼詠である〉
◯『万歳狂歌集』〔南畝〕①12(四方赤良詠)
〝大根太木が一周忌に、寄柏餅懐旧といふことをひと/\よみ侍りけるに
引き臼の一周りにもなりにけり過し昔の懐かしは餅〟
〈この一周忌は上記から安永九年と考えられる。柏餅とあるから五月であろう。すると大根太木は安永八年五月頃に亡
くなったのではないか〉