◯『近世風俗史』(『守貞謾稿』)巻之五「生業上」①180
(喜田川守貞著・天保八年(1837)~嘉永六年(1853)成立)
〝江戸船宿 堀江町・柳橋辺・日本橋・山谷河岸
各十余戸あるひは二十余戸、軒を比する者多し。その他諸川岸に散在する者、その数挙げて知るべから
ず(文化中六百余戸あり)。皆川船宿にて、荷船宿もあれども十ヶ一にて、その九は川遊び船を専らと
し、各小戸なれども洒掃(サイソウ)を精(コマ)かく、屋造り綺麗を専らとし、男女の密会をなし、あるひは
客の求めに応じ宴席を兼ね、また青楼娼家に引手(ヒキテ)と号(ナズ)け導くことをなす。深川等の遊里な
る時は、その遊客遊女を乗するにより、はなはだ繁多なりしが、遊里廃止の後ははなはだ衰へたり。ま
た遊参のみにもあらず。当所は地広く、特に人心活達なるが故に、市中といへども遠路に往くには、舟
駕を用ふることしば/\なり。雨中の他行等にはいよ/\多し〟
〈深川等のいわゆる岡場所が官命によって廃止になったのは天保十三年(1842)のこと〉
◯『絵本風俗往来』菊池貴一郎(四世広重)著 東陽堂 明治三十八年(1905)十二月刊
(国立国会図書館デジタルコレクション)(37/133コマ)
〝六月 船宿
此の頃船宿の軒をつらねて繁昌せるは
日本橋西河岸 鞘町河岸 江戸橋 堀江町 伊勢町
新橋 汐留 小網町 神田川 牛越 浅草川
両国 柳橋 米沢町 向両国 鉄砲洲 本所一ッ目辺
霊巌島 深川其外諸所なり
船宿抱への舟人なる者、実に江戸ッ子の勇める者好みて舟人となるもの多し、船宿といふは、屋形船
・屋根船・荷足などいふ船を河岸につなぎ、客の約束に従ひ漕出すなり、船宿は室房(ざしき)のつく
り何れの船宿も皆同じ、余り手広からざるは、客の少しの間待合ふに用ひて、飲食などなしける所の
あらざればなり、船宿皆表かゝりの同じきは、出窓に格子を入れ、其の脇入口にして、看板に行燈を
出し、行燈には持船屋形の船名をしるせり、家内の間取りは何れの船宿も同じ作りて、大小の差ある
までとす、台所の竈(へつつい)座敷の横火鉢並びに掃除の清きは、斯業(このげふ)の得長といふべし〟