Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ ふくせいはんが 複製版画(模造版画)浮世絵事典
 ☆ 明治二十二、三年(1889、90)頃  ◯『浮世絵』第一号 (酒井庄吉編 浮世絵社 大正四年(1915)六月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   ◇「原版と復刻との識別」無署名(18/21コマ)   〝 版画の復刻即ち再版ものと称するものは、明治廿五年頃から行はれて居る、大坂にて復刻ものをやつ    たのは、それより少々後の事であつたが 東京より技が劣つて居る。何しろ一枚何百円と云ふものも、    再版では僅かに四五十銭にて獲られると云ふのであるから、一見して原版、再版の区別はつくが、さて    これが自然の時代がついてくると、永年取扱つて居る売人でさへ一寸識別に苦しむ事がある。     だがそれは表面(うはつら)から見た事で、苟くも其道の者又は眼識の超えた人ならば、いくら巧みな    時代がついて居ようが一見して直ぐ分る、今誰にても容易に区別の出来る鑑識法を述べて見ようと思ふ。     先づ第一には色彩を見る事で、たとへば原版二度摺に対し、再版はそを模擬する為に五遍乃至(ないし)    六遍もゑのぐをかけて居るが、それでも遠く元摺に及ばない、試みにこれを手にとつて透して見ると一    番よく分かる、僅かに二度摺の原版が濃くつて、五遍六遍と手数をかけた再版の方は尚未だ淡(うす)い、    殊に再版の紅は徒らに時代をつけようとする為に、紅に墨を交ぜ、其他の色で原色を殺して、鮮やかに    行くものを、煤けたものにして居る、風景画の款傍(くわんぼう 俗に外題)によくこの紅を用ひてある    が、原版の方はコツクリとした真の紅色が現れてい居るに反し、再版は今云つた煤けた色をして居るの    で、これで大抵識別(みわけ)がつく。     それから人物画と風景画とは、人物の方区別が容易である これは赤、紅、紫なぞと云ふ 今は到底    現はせない色彩が多く用いてある為で、風景画の方は概して色彩が淡泊丈けに一寸識別に困難なところ    がある。     次に墨版を見る事で、原版と必ず一二ヶ所違つた個所(ところ)を発見する、それは再版を興すに 先    づ原版を写真木版に起す時 どうしても微細の点を彫り落すに処から来たすので、彼の広重の木曾の雪    (三枚続)に、山間の遠山が落ちて居る等、尤も例証すべきところで、人物ならば顔の輪郭に注意をして、    殊に毛彫と来ては到底原版の足元へも及ばぬ、惣じて彫が昔のコツテリと厚味のある味はひに反して、    今のは何となく薄ぺらである。それから紙質であるが、これは多く手掛けて居るものでないと一寸分ら    ない、原版は手に取つて透して見ると、一種云ふに云はれぬ紙も味はひと云ふものがある、これは筆に    も口にも述られない、こゝに至つて紙質を見ると云ふ事が一番難しいと思ふ。     また巨細に話せば中々あるが、先づざつと以上の如くで 要するに識別法は左の方法によれば 概し    て間違ひないものである。      第一 色彩  第二 墨板  第三 紙質     序に云ふが、此再版もので茶がかつた時代をつけたものは一種嫌味な感じを起して閉口だが、ところ    が巧な再版ほどこう云ふ時代な色をつけてある、恰(まる)で山出しのハイカラが 鼻の先斗(ばか)り白    粉をコテ/\塗つて歩行くのと同じ事で 感心したものでない、そこへ行くと、こんな嫌味な時代をつ    けない、所謂生地で行く復刻ものは、前に云つた通り 写真木版でやつたのであるから、原版と殆ど大    差はないのに 第一価格も低廉、こう云ふ所からして、標本として所蔵する事が一般の傾向となつたよ    うだ〟  ◯「浮世絵商の今と昔」竹田泰次郎談・昭和九年   (『紙魚の昔がたり明治大正編』反町茂雄編・八木書店・1990年刊より)   (竹田泰次郎談)   〝恐らくは明治二十二、三年頃かと思います。(中略)    歌麿の再版というもの、今日の模造版画をこさえて見ました。昔の事ですが徳川時代の絵草紙屋が、い    わゆる破産をして、そうして例の板(はんぎ)--古板(ふるいた)をですな、古板が随分と売りに出る。    また古板というのは面白いもので、昔の絵草紙屋同士が今日の紙型の板市(いたいち)みたいなもの--    今日の出版屋の紙型市みたいなもので古板を売買交換する板市というものがあったそうです。錦絵の墨    板、色板と申しまして、これが歌麿だとかこれが広重で十五番揃いだとか、それぞれ古板の市がありま    したそうです。その板市という名称はずっと昔、それこそ天保からもっと以前、恐らくは文化・文政以    前からあったろうと思います。その板市が明治になっても引き続いてありました。日本橋の池の尾とい    う席でよくあったそうです。古板売買というのは絵本及び今の錦桧ですね、その錦絵の古板を叔父(注1)    が買いまして、歌麿の色刷の--本を読んでいる娘が行燈(あんどん)の側にいる図--「本読み」とい    いました。それと「針めど」という絵、おふくろさんがいぼじり巻きして針の目を通しているというよ    うなのと古板を二枚,板市か何かで買ったんでしょう。あるいは古本の市で買ったんでしょうか。それ    を見本刷りに摺って、そうして今のベンケイ(注2)さんの所へ持って行って見せた。「これいくらで    すか」「これいくらでもある、これならいくらでもある,これ一枚五銭宛(ッパ)です」で、これが五銭    宛(パ)の始まりだったそうです。モウその頃は歌麿がだんだん値があがって一円宛(ツパ)になっていた    そうです。「こういうのならいくらでも捜す。これはいくらでもある」というので、なるだけ煤(すす)    を塗って汚くして持って行った。それが今日の模造版画の始まりです。これがまた大変に売れるから面    白いというので新規に歌麿の「蚕手業草」という錦絵の図によって、小林永濯(えいたく)の息子--小    林永興(えいこう)という画家、その永興さんに願って、原版を写して版下を作ってもらった。今なら写    真かなんかにとるが、その時分はそんな事を知らない。スキ写しです。そうして写した版下から彫師へ    かけて、安く彫ってもらって再版をおこしました。今日では再版などというものはありません。模造版    画、複製版画と申します。昔はすべて再版--初版とか二版とか昔はそういう事を錦絵にはいわなかっ    たようです。初摺(しょずり)とか後摺(のちずり)とかがあっただけで、二版とか、三版とか、ハッキリ    した事をいわない。そうして一枚から十二枚まである--歌麿の蚕の複製版画を一枚から三枚までこさ    えるとか、四枚から六枚までこさえるとかいう風にして、ちやんと十二枚出来上がったのです。漸く板    木が出来る。印刷が上がる。--煤水をつけて時代を付ける。神田の柳原あたりに古着屋がその当時沢    山ありましたから、古い帯を買って来て、それを切って表紙をくッっける。折本にする。「これ大変よ    ろしい。これいくら」「六貰宛(パ)、いくつでもあります」と六十銭に売る。その時分原価は表紙をく    ッっけて漸く二十二、三銭位で出来たそうです。そうして見本で売って置いて、あとからずいぶん沢山    売ったそうです〟   (一心堂)   〝それは模造品とか又は再版という事を承知で売買しておったのですか〟   (竹田)   〝無論模造を承知です。今のべンケイさんが買っておった日本の特殊な美術品を、そのあとフェノノロサ    とか、ビゲローとかが来て「これは日本の特殊な風俗の研究資料で、しかも立派な芸術品だ」といって    非常に愛好し、鑑賞して、且つ海外に宣伝した。今日では美術品と申しまして、日本人まで自覚して騒    ぐよーうになったのは、ドンドン外国人が勝手に買い拡めてくれたからなので、決して日本人の我々ど    もが、また叔父どもがそうさせたわけでもなんでもないのです〟    〈再版は江戸時代から伝わる古板を使って摺り上げたもの、その始まりは明治の22、3年頃。文化~文政期より続いてきた     古板市から、江戸時代の版木を購入して増し摺りをし、一枚5銭で売ったという。最初に歌麿の「本読み」「針めど」な     どが売り出されたようだ。因みに、歌麿の古版画の方は当時一枚1円。1円=10貫=100銭だから、複製は実に1/20である。     (なお明治30年代に入ると、同じく竹田談話によると歌麿の古版画は20~30円に急騰する。下掲「古版画浮世絵の値段     の推移」参照)これを歌麿の収集で知られたベンケイなる人が大量に購入した。これが好評を博したので、竹田氏の叔父     にして浮世絵商の草分けともされる吉田金兵衛氏、今度は原画の透き写しから新しい板木を作って複製をし始めた。歌麿     画の「蚕手業草」がその複製版画のさきがけなのだという。しかし煤水をつけて時代をつけ、柳原の古着屋から古切れを     買って来て、それを表紙に折本仕立てにしてしまったとしたらどうだろうか。後世ではもう古版画か複製なのか容易に区     別が付かないのではなかろうか〉     (注1)語り手竹田泰次郎の叔父、元禄堂吉田金兵衛。明治中期の浮世絵商の草分けの一人とされる   (注2)明治十二、三年頃から歌麿を中心とする古版画を収集していたドイツ人貿易商ブリンクリー。渾名がベンケイ       参考資料 ※絵柄・出来映え・保存状態等によって値段は大きく変わりますので、おおよその目安としてください
       古版画浮世絵の値段の推移  ☆ 明治二十六年(1893)  ◯『読売新聞』(明治26年4月28日)   〝外国人が浮世錦絵の嗜好に付て    近頃浮世絵大に騰貴し 歌麿・広重・豊国(以上二人は初代に限る)等の筆に成れるもの 一枚十円内    外の価格を持つに至りたり 之に付き或る人は云ふ 外人が是等錦絵を好みて 却つて肉筆を喜ばざる    は 先年肉筆ものゝ暴騰せる以来 往々偽筆もの顕はれ 数々(しば/\)外人を欺きたるに由り 乃ち    欺くべからざる板刻物を買込むに至りたるなりと 斯くと聞くより狡猾なる商人は 又密かに錦絵の偽    物を作りて売出したるに 是亦(これまた)強(あなが)ち廃物にはならず一枚十銭内外に売れ行く 代り    に正真の名画は漸次低落して今は一枚三円前後となる 之を差引勘定する時は 結句我に利益ありと得    意顔するは大(だい)なる誤りにて 外人の見る所は大(おほ)いに是等猾商の見る所と異なれる趣きなり    抑(そ)も外人が板刻に錦絵を愛するは 一枚三箇の美術を具へたるに由るものにて 即ち絵画彫刻着色    の三種は 大いに西洋美術家の参考とするに足ればなり されば其偽物も彫刻着色の二ッ尚ほ価十銭を    過当とせずして 外人の買入るゝ事なれば 差引勘定は結句彼等に大利ありて 数(かず)稍(や)や少な    き真物の下落は取りも直さず 我が損失に当る訳なりとぞ いつもながら日本猾商の失敗笑ふに堪たり〟    〈外人が肉筆への関心を失ったのは偽筆の横行にあるとする。それで人気が古錦絵へと移っていき、一時は一枚十円も     するものが現れるなど価格の高騰をみた。すると便乗するものがあって、今度は古錦絵の偽物を一枚十銭ほどで売り     さばく業者が登場した。いわゆる複製版画である。外人は錦絵の彫りと摺りの技術にも価値を認めるから、複製にも     興味示した。その結果何が起こったかというと、古錦絵相場の下落である。十円していたものが三円前後にまで落ち     込んだ。業者は儲けて得意顔だが、偽物が真正のものの価値を貶める、これこそ我が国の損失ではないかと、記者は     いうのである〉  ◯『早稲田文学』第41号p242「文界現象」(明治26年6月刊)   〝古美術品の輸出    (前略)去月末の『読売』によれば、海外にてこの頃最も声価を博するは歌丸浮世絵にて、今は偽物    をさへ続出するに至れり。明治七八年の頃、古仏像の画幅が海外に賞翫せられし時も、同じく偽物を輸    出して巨利貪りしが為、件の輸出は全く絶えたる例しもあればとて、これら売買に従事するものゝ中に    は、私に苦慮するものありとか〟    〈この偽物騒動と上掲の複製版画の高まりとの関係は不明〉  ◯『読売新聞』(明治29年7月1日)   〝外国に於ける摸写錦絵    古代錦絵の好尚は近来頓に其度を高め 殊に外人の如き只管(ひたすら)珍物を漁らんとして 各絵双紙    屋を遍歴するもの多く 従って歌麿・師宣・一蝶・豊国・国芳・長春・北斎・祐信・清信・豊春等の筆    に係る人物風俗画の再板もの売行頗るよく 其出版に逐はるゝ位なりと云々 左すればにや遠く英米仏    独等に於ても各々其原本を摸写する事に勉むると見え 此程銀座一丁目の絵双紙店関口方に於て手に入    れし広重筆近江八景の内瀬田の夕照、北斎漫画、女大学画題等の図は何れも仏国に於て模造したるもの    にて 其精巧聊か原本と違はず 実に驚嘆の外なしと雖も 日本文字は稍困難のものと見え 絵画の割    には文字頗る拙なり 夫に次で驚くべきは 日清戦争の錦絵にして是亦近年稀なる売高にして 海外へ    の輸出非常なりしが 矢張り此程関口方にて 横浜二百五十四番ウオルス商会館主より 譲り受けたる    ものは独逸に於て摸写せしものにて 元図は秋香の筆に成れる海洋島沖日艦大勝の図なり 其精巧殆ん    ど我に劣らずと雖も 只前の如く日本文字の不格好なると且つ紙質異なるがため 彩色の光沢を失せる    は惜しむべしと〟  ◯『読売新聞』(大正2年1月17日)   〝浮世絵複製の企 古吾妻錦絵保存会成る     世界的の価値 我が浮世絵の価値は今や世界的に認められてゐる。欧米を漫遊する我が国人が彼地    の美術館に於いて、はた個人の蒐蔵家の許に於いて、日本の古美術の沢山集められてゐる事には屡々    驚かされる様(やう)であるが、浮世絵はいつも其の主要な部分を占めてゐるのである。而(そ)して我    々は彼等の熱心に感服すると共に、一面には我が古美術品の流出に戦慄せざるを得ない。     保存会の主旨 かくしてこの世界的価値ある我が浮世絵も年々海外へ流出する許(ばか)りであるが、    古吾妻錦絵保存会と云ふのは、即ちこの浮世絵の価値あるものを複製し保存せん為めに起つたのであ    る。広重、北斎を始めとし、春章、春信、春重、湖龍斎、歌麿、清長等、春朝等、諸家秘蔵の古錦絵    名作を集めて、木版師片岡美登氏が複製するので、其の出来栄は中々いゝ様である。     会則 毎月二枚、二回に複製し、寸法(竪九寸七分巾七寸)を一定にして画帖にも出来れば、同じ    額に入れる事も出来る様にする事。百枚を以つて一期とする事。一回分の会費卅銭 実物と引替にす    る事。出版画は会員にのみ分ち 他は絶版する事。因みにこの会は去年十二月から既に始めてゐるが、    猶入会したいものは本所区相生町四の十七 片岡美登方へ申込めばよいのである(五重塔)〟