◯『稗史提要』(比志島文軒(漣水散人)編・天保年間成立)
◇「安永九年(1780)己亥」時評 p358
〝この頃より袋入と云草紙出る。三冊十五丁を合巻一巻にして茶表紙をかけ、錦絵摺の袋へ入て出す。
(中略)
又袋入に紙数わづか五丁にして全部するもの、短くして面白き趣向有。喜三二が上州七小町など勝れた
り〟
◇「天明元年(1781)辛丑(安永十年)」時評 p361
〝袋入の草しの名を得たるを、翌年青本に直して出すこと始まる。柳の黒かみは、去年袋入の鐘入七人化
粧なり。此類あまた有〟
〈安永九年、袋入本として出された『鐘入七人化粧』(朋誠堂喜三二作・北尾重政画)を、今年、黄表紙『漉返柳黒髪』
として再販したのである〉
◇「天明四年(1784)甲辰」時評 p368
〝袋入の本此頃にて止む。是より後の袋入は、其年青本の高作をまづ袋入にして出し、一月ほど立て直に
青本にして出すことゝなれり〟
◇「享和三年(1803)癸亥」時評 p401
〝此頃袋入の上本出る。是迄の袋入は、半紙に摺たる本也。此上本は糊入に摺て、紙形も殊に大にして表
紙も厚し。製本異にして王侯に呈すべし。児童の翫弄すべき物にあらず。この上本は並の袋にはせずし
て、直に青本に直して出せり。後年合巻の出来たる後は、最初に上本、夫より合巻、夫より青本と、三
度に直して出したり〟