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☆ ふかがわのゆき 深川の雪浮世絵事典
 ◯『歌麿』エドモン・ド・ゴンクール著・1891年(明治24)刊(平凡社「東洋文庫」p128)   〝肉筆画についての章を終わるにあたり、ビング氏の店で見せられた幅三・五メートル、高さ二・四メ    ートルという巨大な掛け軸にも言及しておきたい。軸いっばいに二十六人の女が集う有様が描かれてい    る。そこには、雪をかぶる灌木が植わった庭を前に、一軒の「青楼」内部の廊下の曲がり角が描かれて    いる。素足に豪華な着物をまとった遊女たちは、さまざまに集い、美しく並んで、物憂そうに立ち止ち    止まったり、階段を足早に登っていったりしている。小犬と戯れる女、軽食を運ぶ女、欄干に身を乗り    出して雄弁な手つきで階下と会話を交わす女たち、階段の支柱に手を回して寄りかかるように立ち、ぼ    んやりと物思いにふける女、音曲を奏でる女、湯の沸く鉄瓶がかかった火鉢の周りに寒そうにうずくま    る女、奥の方に通りかかった女は緑色の袋に入った寝具を背負って運んでいる。     ここには、歌麿風の優雅な仕草、姿態、女のタイプなどが認められる一方で、その素早い筆致の中に    少々大仰な装飾性や絵具の透明感のなさも感じられる。署名のない作品ではあるが、来歴からしてたし    かに歌麿の作と思われる。伝えられる来歴は以下のとおりである。ある諷刺的な版画を刊行した後、投    獄されるかもしれない危険を感じた歌麿は、しばらく遠い地方の友人宅に身を潜めた。この巨大な掛け    軸は、そこで受けたもてなしの返礼として描いたものだという〟    〈ゴンクールは画題を記さないが、「肉筆・幅3.5m×高さ2.4m・掛け軸・二十六人の女・雪・遊女・無落款」などのキ     ーワードから、無款ながら歌麿画とされる今話題の「深川の雪」と断定できる。ただ吉原を意味する「青楼」とある     のが不審。これは彼らと昵懇の間柄である林忠正が間違えて教えたのか、それとも遊郭であれば場所と問わず「青楼」     とビング(注)やゴンクールたちが理解したのかは不明。ともあれ、ここが深川であることは画中の「袋に入った寝     具」いわゆる「通い夜具」から窺い知ることができる。岡場所深川独特の習わしだからだ。(稲垣史生著『考証 江     戸の面影(三)』に「通い夜具二階をごろりごろり下げ」という雑俳が出ている。雑俳はコトが終わってからの光景を     詠んだものだが、この掛幅では二階に運びあげるところを描いている)この絵の「来歴」がいうところの「ある諷刺     的な版画」とは、文化元年(1804)の「太閤記」に取材した錦絵のこと。(本HP「浮世絵師総覧」歌麿の項・文化元     年参照。またTopページの「筆禍作品一覧」参照のこと。この件で歌麿は入牢吟味のうえ手鎖の刑に処せられた)     さて「来歴」によると、この「深川の雪」は、逃亡して身を潜めた地方の友人宅で、その返礼として描いたものとさ     れる。これまた林忠正のアドバイスにちがいない。ゴンクールは内心、装飾が少々大仰なのと絵具の透明性のなさか     ら歌麿画とするにはためらいもあった様子である。しかし歌麿風が認められることと、また全幅の信頼をおく林がも     たらしたこの「来歴」によって、結局は歌麿画と得心したようである。してみると林はゴンクールの懸念を振り払う     ことができるほどの自信を持って歌麿説を主張したものと推測できよう〉     (注 ジークフリート・ビング(1838-1905)、パリの東洋美術商、明治23年(1890)来日)