◯『藤岡屋日記 第二巻』p550(藤岡屋由蔵・弘化二年(1845)記)
◇名代の老舗、没落
〝(八月記事)
上野御成街道にて、亀屋の柏もち・鴻池の鯉こく
両家名代なりしが、亀屋は当春つぶれ、家作は六十両余に売渡し、跡万屋清八と云小間物びん付油屋に
に成る
繁昌はいつもかわらぬ御成道
亀屋の跡が又も万せひ
御成道角、鴻池又三郎は当所は百余年住居せし居酒屋にて、鯉のこくせう名代にて、此辺の番所帰りに
は是非共当家の鯉こくを出さねば、馳走にならぬ様に思ひしとなり、然る処近年おとろへて、当秋は天
麩羅屋へ五十七両三歩に売物に成也
龍門の滝へものぼる鯉こくの
天上したか今は天麩羅
其節、御成道ぇ三人の見世出し、何れも裏店横丁より出て出世也、紙屋徳八は唐人舘横丁より出、三河
屋喜左衞門は山城屋又三郎裏より出、本屋由蔵は市野屋三郎兵衛裏より出る也、此節評判に、
御成道見世出し三幅対
天地人に見立評判記 本由作
裏の天下の 天 天麩羅
天麩羅もかせぎ出して金麩羅の
山吹色がふゑて喜左衞門
頓て地主と成 地 かみ徳
かみ徳の恵みに金も貸本や
今はしよりんの問屋株也
小人の 人 本由
月花の永き詠も板庇し
今は本屋となりて由蔵〟
〈本由こと本屋由蔵は『藤岡屋日記』の記者・藤岡屋由蔵。上野御成町への出店は弘化二年(1845)の八月であった〉
◯『絵本風俗往来』中編 菊池貴一郎(四世広重)著 東陽堂 明治三十八年(1905)十二月刊
(国立国会図書館デジタルコレクション)(78/133コマ)
〝十二月 お記録本や
外神田御成道の入口なる広場に、莚を敷きて古書籍を陳(つら)ねて商ふ本屋の老爺あり、此の書商をお
記録本やと呼びしは此の老爺前へ、ぢんこう(塵劫)記・商売往来・都往来・今川古状揃ひなんど、破れ
たるか又は表紙もよごれたるものを陳(つら)ねたる、片脇には素麺箱を横に置きて机と成し、瀬戸焼の
墨壺に禿(きれ)筆を染めて、其の頃廉価なる黄半紙といひし紙を横折にして、終日何か認めて居たりし
かば、人呼びて「お記録本屋」といひしなり、当所は元来広場のこと故、暑寒とも少しく風の起りし時
は、砂塵を吹き上げて煙りの如くなるに、頓着なく悠然として筆を休めざるは、雨雪の日を除くの外十
年一日の如く、安政の末年の頃、早や五十路を越えしと見うけたり、勿論年中日光に照り付けられしか
ば、顔色渋紙の如く頭髪蓬々たりしを手拭にて包みたり、怪しむべきは身柄よき武士の来たりて、破れ
莚の片辺に着座して、何か談話して余念なき様を見しこと数度なりける、客、店に立ちて古本を求めん
とて価を問へば、甚だ不廉にして一銭も引くことなく、随分頑固なる振舞ありたり、後には同所へ一戸
を構へて古本の店を出しけるが、従前の如く素麺箱の机に向ふこと同じかりし、明治の初めに至りて老
爺物故せしとか、其の年月を知らず〟
〈外神田御成道の古本の店ということで、この「お記録本屋」とは藤岡屋由蔵のことと思われる〉