女子の習ふ手踊の師匠は幾派にも別れて、其の流々にて手足の運び、体の構へに異様あり、然るにいづ
れ劣らぬ中に、当日流行の盛んに品位の高きを占めたる流は藤間なり、此の藤間の派に限りては、婦女
の師匠皆生涯独身にて、夫を持たぬ習ひにて、極めて貞操なる品行ありしより、愛女をして手踊りを習
はしむるは藤間に限れるとの世評を恣(ほしい)まゝにせり、又諸大名方御奥の召(めし)に応じて、梨園
の教坊となるは十に八、九までは藤間なり、されば年一度春か秋に催せる大ざらひと称するものも、藤
間を以て巨擘とす、此の大浚ひたるや、江東中村楼を以て其の場にあ(充)つ、当日門弟を組合せ、幾番
の手踊り全く盛んにして、弟子なる女子達の家にては費へを厭はず、衣装に美をつくし、手踊りの地な
る長唄・常磐津・富本・清元の浄瑠璃より、下掛かりの笛太鼓に至るまで、名曲を選びて愛児の手舞踏
足(してたふそく)の助けを求めしめたり、此の浚いの支度、半年以前よりかゝりて初めて、当日舞台に
登る踊りをなす女子の家にては、親族知る人を招きて手踊りを見せしむ、随つて其の来客へも丁寧なる
馳走あり、然るに此のさらひに出る児女の母親のみ心をつくし、夫に秘して費へを弁ずる家多し〟