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☆ ぶんきんふう 文金風浮世絵事典
 ◯『増訂武江年表』1p181(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   (享保年間(1716-36)記事)   〝浄瑠璃かたり、宮古路豊後掾、享保の末京都より下り一時に行はる。この時豊後掾が風俗を真似て、髪    は文金風とてまげの腰を突立元結多く、巻鬢とて鬢の毛を下より上へかき、上月代の際にて巻込で結び    たり、衣類と対尺の羽折を着し、長き紐を先に小さくむすび、下駄の歯にかゝる様にして、腰の物は落    しさしに差し、是れ此の時代の風俗なり〟  ◯『賤のをだ巻』〔燕石〕①232(森山孝盛著・享和二年(1802)序)   〝遊子俗人の風俗あらぬものに成行て、髪も文金風とて、わげの腰を突立、元結多く巻て、巻鬢とて鬢の    毛を下より上へかきあげ、月代のきはにて巻こみてゆひたり、衣類対尺の羽織を着、長きひもを先にち    ひさく結び、下駄の歯にかゝるやうにして、腰の物は落しざしにさし、懐手して駒下駄はきて、市中を    ぶら/\と歩行たり、其は惇廟の御代はじめにて、絵にかきて、人々わらひもてあそびける〟    〈惇廟とは九代将軍徳川家重、在職は延享二年(1745)~宝暦十年(1760)。延享寛延(1745~1750)年間の風俗〉