Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ ぶけやしき 武家屋敷浮世絵事典
 ☆ 天保十五年(弘化元年・1843)  ◯『藤岡屋日記』第二巻 ②413(藤岡屋由蔵・天保十五年正月十日記)    〝(一勇斎国芳画「源頼光館土蜘作妖怪図」・歌川貞秀画(仮題)「四天王直宿頼光公御脳(ノウ)の図」    の出版後)    其後又々小形十二板の四ッ切の大小に致し、芳虎の画ニて、たとふ入ニ致し、外ニ替絵にて頼光土蜘    蛛のわらいを添て、壱組ニて三匁宛ニ売出せし也。     板元松平阿波守家中  板摺内職にて、                              高橋喜三郎     右之品引請、卸売致し候絵双紙屋、せりの問屋、                        呉服町      直吉     右直吉方よりせりニ出候売手三人、右品を小売致候南伝馬町二丁目、                        絵双紙問屋 辻屋安兵衛 〟     今十日夜、右之者共召捕、小売の者、八ヶ月手鎖、五十日の咎、手鎖にて十月十日に十ヶ月目にて落     着也。    絵双紙や辻屋安兵衛外売手三人也。板元高橋喜三郎、阿波屋敷門前払、卸売直吉は召捕候節、土蔵之内    にめくり札五十両分計、京都より仕入有之、右に付、江戸御構也。画師芳虎は三貫文之過料也〟        ◯『藤岡屋日記』第二巻 ②449(藤岡屋由蔵・弘化元年十月十日記)    〝南伝馬町二丁目辻屋安兵衛、笑ひ本一件にて正月十二(ママ)日より戸〆の処、今日御免也〟    〈「戸〆」押し込め=外出禁止〉
    「源頼光館土蜘作妖怪図」 一勇斎国芳画     (早稲田大学・古典籍総合データベース)
    一勇斎国芳画「源頼光館土蜘作妖怪図」・玉蘭斎貞秀画「土蜘蛛妖怪図」     (『浮世絵と囲碁』「頼光と土蜘蛛」ウィリアム・ピンカード著)      〈「わらいを添て」とあるから「土蜘蛛」の春画版である。春画はもちろん非合法。板元は阿波藩の家臣高橋喜三郎。     武家屋敷内は町奉行の管轄外、そこで春画が密かに作られていた。芳虎は三貫文(一両の3/4)の罰金。板元高橋は     阿波屋敷から追放。絵を糴売り(セリウリ=行商)や絵草紙屋に卸した呉服町の直吉は、逮捕の際、土蔵から賭博用の     めくりカルタ五十両分発覚したこともあって、江戸追放。そして小売りの辻屋安兵衛外の三人が八ヶ月~十ヶ月の手     鎖り。辻屋は十月十日に押し込め解除とあるから、辻屋が十ヶ月、その外の小売りが八ヶ月に処せられたのであろう。     小売り価格は小型十二枚一組で三匁。銀三匁は当時の相場(1両=銭6500文=銀約65匁)で換算すると、三百文に相     当する。なお「八ヶ月手鎖、五十日の咎」の「五十日の咎」の意味がよく分からない。ところで、武家屋敷の非合法     出版には絵草紙担当の名主たちも相当注目していたようで、次のような文書が残されている〉    ◯「書物絵草紙改め懸り名主伺書」天保十五年正月廿八日付   (『大日本近世史料』「市中取締類集」十八「書物錦絵之部」第三九件)   〝書物・絵草紙・小冊物之内、書物之分ハ一々館市右衛門(町年寄)え申立、御伺済之上同所ニて願之通    被申渡候、草双紙・一枚絵・手遊替絵・双六之類は、私共手限ニて見改、如何之儀無之分ハ摺立売買為    致候処、私共えも不申立勝手儘ニ摺立候絵本、又は双六之類、并武家方等ニて内職卸売致歩行候族も有    之、何れも改受不申品、此節市中本屋・絵草紙屋等ニて見世売致罷在、尤差向何之絵柄も相見え不申候    得共、此儘売買為致候ハゝ、追々勝手儘ニ売方売徳のみを心掛、人情本・笑絵等ニ紛敷分も出来致可申    候間、前書手続通り御伺済、又は私共手限ニ候共、改方無之品は勿論、前々より売来候古板之内ニも、    絵柄其外不宜分は板木削取、以来売買不為致、其上私共申合寄々見廻り、不取締之宜無之懸かり様仕度、    此段奉伺候、以上     辰正月             書物・絵草紙改掛り 名主共〟    〈書物は町年寄・館市右衛門に出版伺いを立て、草双紙・一枚絵等については、絵草紙改(アラタメ=検閲)掛りの名主が     「手限(テギリ)=上の裁断を仰がず、自己の責任で判断すること」によって許可を与えることになっているのだが、最     近、検閲を受けない絵本や双六、あるいは武家の内職によって仕立てたものが、市中の本屋・絵草紙屋に出回ってい     る。現在のところいかがわしいもの見当たらないが、このまま放置しておけば、利得に惑わされて、人情本や笑絵等     に紛らわしいものも出てこよう。従って、改印のない品はもちろん、以前から売ってきた古板であっても、絵柄の宜     しからざる品はすべて板木を削り取り、売買を禁じてはどうかという、改を担当する名主たちの提案である。しかし     これがなかなか徹底しなかったようで、後年にも次のような報告書が出ていた〉        ◯「流行錦絵の聞書」絵草紙掛り名主・天保十五年三月記(『開版指針』国立国会図書館蔵所収)   〝春頃或屋敷方ニて内証板ニ同様の一枚摺拵、夫々手筋を以て売々致候由に候得共一見不致候〟    〈これは国芳の「源頼光館土蜘作妖怪図」に関する聞書であるから、「内証板」とはその類版をいうのであろう。「夫     々手筋を以て売々致候」とあるから、売り捌くルートまであるらしい。上掲の春画版「土蜘蛛」を武家から買い取っ     て卸す直吉のような問屋、そしてそれを小売りする辻屋安兵衛のような絵草紙屋や糴売りたち、恐らく彼らの間には、     武家方制作の春画や類版を市中に流通させる経路が出来ていたのであろう。そういえば辻屋安兵衛は、一年前の天保     十四年七月、やはり武家方の類板「将棋合戦」を売り捌いた廉で摘発されている。その時は、今後は武家内職の品は     取り扱わない、次に違犯した場合には商売禁止処分、開板する場合は必ず改を受ける、以上三点誓約させられただけ     で済んだが、今回は実刑で十ヶ月間の戸閉め(手鎖ともある)に処せられている。さてこの武家方の非合法出版、神     経質になっていたのは絵草紙担当の名主にとどまらない。嘉永三年(1848)正月、町奉行の隠密も次のような報告を     上げていた〉    ☆ 嘉永三年(1850)    ◯「三廻上申書」嘉永三年(1850)正月(『大日本近世史料』「市中取締類集二」「市中取締之部二」第三三件)   〝当春春画之義出来致し候風聞ハ有之候得共、重ニ山之手軽キ御家人又ハ藩中もの抔、板元摺立とも内職    ニ致し候義ニ付、何分板元突留り不申〟    〈当春、春画が出回ったとの噂があったが、主に山の手の身分の軽い御家人あるいは藩中の家臣などが、板元や摺りを     内職としているので、板元を突き止めることができないとの報告である。上掲『藤岡屋日記』の伝える高橋喜三郎は     阿波藩の家臣であった。どうやら武家屋敷が非合法出版の隠れ蓑になっていたような気がする〉    ☆ 嘉永六年(1853)    ◯『大日本近世史料』「市中取締類集 二十一」(書物錦絵之部 第二七三件 p167)   (絵草紙掛り名主の町年寄宛伺い書)   〝一 板木職人共之儀は、貞享元子年より寛政四子年迄被仰渡触之内ニも、仲間え加入不致右板行彫立間     敷旨、取締方被仰付候処、此板木職人今般再興被仰付候ニ付、町方住居町人身分之者は取締行届候得     共、御武家方身分ニて内職之衆多人数有之、此内職之衆え彫刻相頼候て、無改ニて禁忌之絵類・書類     等致隠売候儀麤漏ニて、此侭ニては取締相立不申候 (中略)     松平越中守様御家来田中伊三郎儀、細撰記と申中本隠彫致し、当時御吟味中之者、表御台所人村瀬正     五郎同居川嶋近吉儀、好色画等猥ニ隠彫致し候〟     〈絵双紙掛の改を通さない無断出版物、しかも好色画(春画)のような禁忌のものまで、武家方で内密に制作されて     いたのである〉