☆ 文政五年(1822)
◯『きゝのまに/\』〔未刊随筆〕⑥114(喜多村信節記・天明元年~嘉永六年記事)
(文政五年)
〝秋中、上野山下に笑布袋といふ作り物を見する、大に流行〟
☆ 天保七年(1836)
◯『事々録』〔未刊随筆〕③239(大御番某記・天保七年(1836)記事)
〝台嶺山下に拾五年以前、笑布袋と呼し細工物を諸人に見せけるが、今年又是へ縮緬もて人形を作り笑布
袋とともに見せける。軒並に稲細工とて稲にて作る人形も見せける、二月二日夕七ツ時、芸洲宮島廻廊
の形を作りたる灯籠火あやまつて、葭簀囲イにうつり、もへあがり見せ物小屋不残焼失して、あま店と
呼る向に並ぶ店迄も火移る、同勤間宮源十郎が家は纔に壱丁脇に住めり、其頃見物の者ともあわてつゝ
怪我せし者もありしとぞ〟
☆ 安政六年(1859)
◯『増訂武江年表』2p171(斎藤月岑著・明治十一年成稿)
〝正月より、浅草寺奥山に偶人細工人肥後熊本秋山平十郎、機関細工人竹田縫之助にて、活偶人数種、又
ゼンマイからくり、宝船に七福神笑布袋等の見せ物出る(唐子の獅子舞殊に奇巧なり。笑布袋は文政三
年以来三度目なり)〟