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☆ ほりしとがこう 彫師と画工浮世絵事典
 ○『葛飾北斎伝』(飯島虚心著 蓬枢閣 明治二十六年(1893)刊)   (出典:岩波文庫本 上p143 鈴木重蔵校注)※原文の返り点に従って書き下した    (天保六年二月、葛飾北斎の嵩山房小林新兵衛・万笈閣英大助・衆星閣角丸屋甚助宛て手簡)   〝武者尽画本之事、私贔屓之沙汰には御座無く候が、何卒御三人様仰せ合はされ、彫之所は、浅草馬道聖    蔵院寺内、江川留吉殿へ 仰せ付けられ下さるべく候、彫代之儀は、御相対にて、如何様(いかよう)に    も御かけ合遊ばされ候(そうらい)て、何卒右江川へ仰せ付けられ下さるべく候、と申すは、漫画、唐詩    選等、何れも上彫には御座候得共(そうらえども)、胴彫、頭等、不揃の場所も之れ有り候。富嶽百景之    本、初編より三編まで、彫は一丁にても見落し等御座無く候間認候。老人も一入(ひとしお)張合に相成    候て、格別出精仕(つかまつり)候事に御座候〟   〈ここに登場する北斎作品の時系列は次の通り。天保3年(1832)刊『唐詩選』五七言古詩(嵩山房)の彫師は杉田金助。天    保4年刊『唐詩選』五七律詩(同左)の彫も杉田金助。天保5年序『北斎漫画』十二編は江川留吉。天保5・6年序『富嶽百    景』(永楽屋東四郎)初・二編彫は江川留吉で三編は江川仙太郎。天保7年9月刊『唐詩選』七言律(嵩山房)の彫は、巻一    ・三が杉田金助で、巻二・四・五が江川留吉。手簡のいう「武者尽画本之事」に相当するすると思われるものでは、天    保7年1月刊『絵本魁』初編(嵩山房)の彫は杉田金助と江川留吉。天保7年8月刊『絵本武蔵鐙』(嵩山房)が江川留吉。こ    うして見ると、嵩山房小林新兵衛は、江川留吉を推薦する北斎の意向を受けて、天保7年の『絵本魁』や『唐詩選』で    は、これまで杉田金助が担当していた彫を江川留吉に交代させたようである〉  ○『葛飾北斎伝』(飯島虚心著 蓬枢閣 明治二十六年(1893)刊)   (出典:岩波文庫本 上p149 鈴木重蔵校注)    (天保七年正月十七日付、葛飾北斎の嵩山房小林新兵衛宛て手簡)   〝杉田様へ申上候    人物之事 目は(目の図あり)下まぶちなしに御ほり下さるべく候。職人衆、小刀の先きにて下まぶち         を付候事は、真平(まちぴら)御容捨下さるべく候         鼻は(鼻の図二つあり)         此の二品に御ほり下さるべく候     職人衆、能く御承知のはな(鼻)は、歌川風の(鼻の図に二つあり)     此分は、画法にはづれ候間、私の方にては、どうぞ此のやうにならぬやうに、(鼻の図)と御ほり下     さるべく候     (目の図三つ、鼻の図一つあり)     此類流行にても、あるべけれども、私はいや/\〟    〈この杉田は天保3・4年版の『唐詩選』と同7年1月版『絵本魁』の彫を担当した杉田金助。北斎の目には、杉田は歌川     風の線描に相性が合うようで、自分の筆法を体得していないと見えていた。名人と呼ばれる人でも、浮世絵師との相     性は如何ともし難いのであろう〉  ◯『浮世絵』第十七号「浮世絵師の手紙(三)」(酒井庄吉編 浮世絵社 大正五年(1916)十月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   ◇「豊国より広幸へ」〈三代目豊国(初代国貞)の地本問屋広岡屋幸助宛て手簡〉   〝(前略)扨又御ねがひは 此代々の大全のかしらは ぜひ/\ほり竹に御ほらせ被下度候 どふも役の    かしらは一番竹がよろしく候へば(中略)    先日女ゑ御ほらせ被成候は伊八ならんと存じ候 此人のわりげすかし等は 又中々外の板木師とひとつ    に不申かんしんに存じ候 女ゑの分は伊八に御遣可被下奉願候〟    〈「代々の大全」とは『古今俳優似顔大全』(文久2(1862)年~元治1(64)年刊)。このシリーズの頭彫(かしらぼり)は本所横     川町の彫竹に担当させてほしいという、三代豊国の注文である。また女絵(美人画)の頭彫の方は朝倉伊八がお気に入     りであった〉  ◯『浮世絵師歌川列伝』「歌川国芳伝」(飯島虚心著 玉林晴朗校・解説 畝傍書房 昭和十六年刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝按ずるに、国芳が彫工は、三世豊国と同じく、横川堂彫竹にして、彫廉、彫房、これに次ぐ、皆当時の    名手なり。従来錦絵は、画工、彫工、摺工の三者相俟ちて始めてなるものなり。此をもて浮世絵師は、    ことに彫工、摺工を撰びて、工業に従事せしむるなり。或る画工は秘戯の図に巧なりしが、其の陰部の    ところは、彫工に代りて自ら刀を下だし彫りたりし〟