◯『世のすがた』〔未刊随筆〕⑥35(百拙老人・天保四年(1833)記)
〝寛政の始まで、盆太鼓とて、さし渡六七寸の竹にて輪を拵、西の内の紙にて張立、阿膠を引、公家やう
の絵をかき柄を付て、杉箸程のものに打ならし、盆太鼓盆太鼓とて売来る、価八文か十文位の物なり、
是は盆前後女子供盆唄をうたひ手を引合て、音頭のもの此太鼓を打ならして遊べるものなり、近来さら
にその品を見ず、又是を持て物やはらかに遊ぶ女子もなし、たま/\盆唄をうたひ手を引合といへども、
あら/\敷喧嘩口論の種となる事多し〟
◯『蛛の糸巻』〔燕石〕②303(山東京山著・安政三年(1856)跋)
(天野翁の記事を写す)
〝寛政の比迄は、六月の比より七月の末迄、手遊屋にて、盆太鼓と云物鬻げり、こはむかしの盆踊に手太
鼓をうちて踊りたるなごりなるべし、(図あり)かやうの形にて、縁は竹なるを紙に張り、黄に染、草
花などかき、丹もていろどり、阿膠(ニカハ)をつよく引たるゆゑ、うてば少しく響をなす、柄は木にて、
墨にて塗りたる物也、予(天野翁)もをさなき此手遊びたり、此物、今浅草寺の中みせといふにあるを
みれば、形は以前に変らざれど、真の皮張にて、漆の塗柄也、価も以前に十倍せり、僅に六十年来にし
て、小児の手遊さへ、朴翁の変風嗟歎すべし〟