◯『蛛の糸巻』〔燕石〕②281(山東京山著・弘化三年(1845)序)
〝(天明期、吉原)江戸町一丁目扇屋宇右衛門、墨河と号す、つまをいなげとて、夫婦とも、歌も書も千
陰門人にて、天明中の成家なりき、亡兄(山東京伝)したしかりしゆゑ、二人がたんざくなど、今猶家
に残れり、墨河が親はちひさき倡なりしに、墨河にいたりて大家となしゝとぞ、天明の頃、初代花扇東
江の門人なり、千蔭も東江も、天明中の名家なれば、これが門人となしたるは、墨河が一ツのはかり事
なるべし、しかおもふよしは、墨河がはからひにて、一ヶ月に一度づゝをいらんと称せらるゝ者へ、客
の多少により、品に位を付て褒美をとらす、しかるに、滝川が客の数花扇におとりたる事おほかりけれ
ば、そのゝちの時、位よき品をわざと滝川方へもたせやり【花扇は表ざしき、滝川は裏ざしき、三間づ
ゝなり】ふたゝび軽き品なるをもたせやり、つかひにいはするやう、今のはおもてざしきへ参るのなり
しをまちがへしとて、よき品は花扇にへもちさりければ、滝川心に不足して憤発し、つとめに精を出し
ければ、両妓一双の珠光をなしゝとぞ、是亡兄が目睫の話なり、おもふに、かゝる才量ありしゆゑ家を
起しつらん、墨河一代は盛なりしに、親骨をれしのち、今扇の風ありやなしや〟