◯『江戸風俗総まくり』(著者・成立年未詳)〔『江戸叢書』巻の八 p28〕
(「絵双紙と作者」)
〝やう/\文化度より、卦算廻しといふ画始りぬ、声のどかに一枚絵双紙と売来るも次第にうせたり、此
一枚絵といふは他図にて賞する江戸錦絵にて、吾が父常に物語られしは後世恐るべきは天明安永の頃は、
錦絵の板に彫るに下絵の如く役者の目の下なんとうすく色どるを、ボカシいふ事奇工のさまざま出たれ
ども是を彫る事あたはず、是をすりわくる業を知らずといひしが、今はボカシのみかは白粉さへ其まゝ
すりわけ、髪に面部の高低までも彫分摺わくる、奇工妙手の出来たりといはれき〟
〈この記事は文化期以降のもの。明和の錦絵出現後、錦絵の彫り摺りの技法は長足の進歩を遂げたという。天明頃まで
摺り分けられなかったボカシが今では可能となり、更に白粉(胡粉)さえ摺り込むことができるようになったと。ま
た「髪に面部の高低」の「高低」とは凹凸という意味であろうから、髪や顔面の表現にも「空摺り」や「きめ出し」
といった技法が自在に使われるようになったというのである。この時代は、画工のみならず彫り・摺りの面でも「奇
工妙手」が出現した時代なのである〉
◯『百戯述略』〔新燕石〕④228(斎藤月岑著・明治十一年成立)
〝板ボカシは、文化中、豊国等が筆の草双紙に始り、板木の一方を低く削りて、自らボカシに相成、尤一
つの板木にて、外の板は用ひ不申、村雲、黒煙、鮮血等に相用ひ候〟
◯『若樹随筆』林若樹著(明治三十~四十年代にかけての記事)
(『日本書誌学大系』29 影印本 青裳堂書店 昭和五八年刊)
※(原文に句読点なし、本HPは煩雑を避けるため一字スペースで区切った
◇巻七(歌川国芳と弟子たち)p185
〝摺師の方で色をぼかすには板ぼかし【又とくさぼかしともいふ】ふきぼかし等がある ふきぼかしとい
ふのは 一旦色をつけた上を ぬれ雑巾でスット軽く拭き取つて摺る いゝ按排にぼかしになる 板ぼ
かしといふのはトクサで其処を少し磨いて置いて刷るので トクサをかけるは版木屋の仕事でなく 摺
師の方の領分になつてゐる〟
〈これは当時東京美術学校彫刻科教授であった竹内久一(歌川芳兼の実子)の談〉