◯「雛祭と錦絵」久保田米斎著(『錦絵』第十二号所収 大正七年三月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
〝(元禄以後)木板彫刻の勃興と共に、所謂丹絵、紅絵、漆絵等の出てくるやうになり、人形を求めるこ
との出来ないものは、版絵の雛を買って飾つたものである。其例証としては広瀬菊雄氏の所蔵にかゝる、
油町奥村版の漆画細絵の雛の図を挙げてみたい。これは田村貞信の筆に成つたもので、二枚続きである
が、この図を見ると、次郎左衛門雛、一名芋雛といつたものを写生したことが能く分暁(わか)るのであ
る。其後錦摺りなる錦絵が流行するやうになつてからは 種々なる意匠を凝らして雛の絵が、年々に出
板せられ、追々贅沢になつてきたので、時あつて、幕府から禁令の出たことが、徳川禁令考中に散見す
る。因つて以ていかに流行の盛んであつたかゞ窺知せられるのである。
さて雛祭と錦絵と最も密接なる関係を有するものは、東北地方の仙台、山形、秋田、青森、弘前等で
ある。仙台のことは未だ能く知らぬが、秋田、弘前、青森地方にては、錦絵のことを絵紙(ゑがみ)と呼
び、三月三日の雛の節句に際しては、江戸土産の錦絵の、役者絵、源氏絵、其他の風俗絵を壁上に貼り、
その前に土人形を並べて飾つたもので、近年までそれが行われてゐたのであつた。それで東北地方にあ
りては、雛祭に錦絵は必要の品であつたのである。されば近年錦絵専門の商賈が、同地方を歴遊して、
時々珍物の錦絵を掘り出し、巨利を占めてゐるのも、此風習のあつた事を知つてゐたからである(下略)〟